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人生、ありのままの自分を出せたもの勝ち!20年の教員生活から起業に転じ、50歳を前に再び教育現場に舞い戻った校長の思い

現在、ドルトン東京学園の校長をされている安居長敏さんは、大学卒業後、地元・滋賀県の女子高校に20年以上務めた後、突然辞職。慌てる家族をよそに、なんと民間のFMラジオ局を2つも起業するという経験を経て、再び2006年に学校教育の現場に舞い戻ったというユニークなキャリアを持つ。

キャリアの変遷を重ねる中で、自分自身の人生観が変化していったという安居さん。どんな心境で学校経営に携われているのか、お話を聞いた。

ドルトン東京学園の教育、先生の役割と職場づくり

——安居さんが校長をされているドルトン東京学園は、どのような特色を持った学校なのでしょうか?

ドルトン東京学園は、「ドルトンプラン」という学習者を中心とした米国発祥の教育メソッドを実践する、日本で唯一の中高一貫校です。学習者中心の学校ということで、当校における教員や校長の役割は、おそらく一般の学校とは少し異なるのではないかと思います。

というのも、当校は、校歌や校則、定期テストやチャイムといった、学校だったら当たり前にあるものが「ない」状態からスタートしています。なぜ「ない」かというと、「それらがなぜ必要なのか」という原点のところから考えたいからです。

例えば、授業を受けるためには床に座るよりも机と椅子があった方がいい、先生の話をメモするためにはノートと筆記用具が必要だ、といった具合に、一つ一つの必要性を吟味し、必要だと判断したものの価値を最大化して、校内にどのような形で整備すれば子どもたちに最も効果的に活用してもらえるのか、というところまで考えたいんです。

「学校なら当たり前」という枠を外して、イチから自分で考える。それが生徒の考える力を育む一番の近道になると私たちは考えています。

コンテンツも教え方も含めてイチから考えて、従来の学校とは一味違った新しい学校の価値を生み出し、「教育ってこういうことだったのかもね」と世間に認めていただけるような学校をつくりたい。子どもたち自身が、自ら学び成長するその過程からつくれるような学校にしようという思いで、2023年で開校5年目を迎えました。

「生徒中心の学校」であり、
「社会のリアルとともに歩む学校」を目指すドルトン東京学園

——学習者中心の教育に取り組むからには、教員一人ひとりも考える力をしっかり働かせようということなのですね。

その通りです。ですので、生徒に対しても「こうしなさい、ああしなさい」という言葉がけはしません。

教科書を間違いなく教えるとか、いい点数や評価を取れるようにするとか、偏差値で志望校を選んだりすることとか、そういうことではなくて、あくまでも生徒が一歩先を考えて、それを実現していくためのサポートをするのが我々教員の役割だと捉えています。

生徒たちが授業や学校生活における先生との触れ合いを通して、「この先生のように生きたい」「この先生が学んでいるこの教科を僕も好きになりたい」といった前向きな気持ちになれて、少しでもモチベートされるように、先生の人間性を通して少しでもポジティブな影響を与えられるような存在。それが、先生なのだと考えています。

——安居さんが校長という立場で大事にされていることはどんなことですか?

私は、生徒も先生も、皆が「素」でいられる教室や職員室が心地よい学校をつくると考えています。

これは学校に限らず、どんな組織でも同じなのではないでしょうか。ですので、先生同士、互いにリスペクトし合い、「あなたはあなたのままでいていいんだよ」ということを認め合えるような関係性が生まれる環境づくりを大切にしています。

当然ながら、人それぞれ個性があり、スキルや得意なことも異なります。個性がぶつかり合うこともあるでしょう。そうなったとしても、お互いをちゃんと認め合えて、どうすれば常に皆が心地よくいられるかを考えられるくらい、先生方が安心感を持って仕事に向かえる職場にすることが大切だと思っています。

そのために、校長である私の役目は、先生方を下から支えることだと思っています。「先生は何をやりたいですか?」「それをするためにはどうしたらいいですか?」という声を聞き、それが実現できるようにどう差配するかというマインドで日々動いています。

先生方のやりたいことが叶えられるように土壌づくりをしているような感覚ですね。

話しやすい雰囲気の中で
先生たちの声をじっくり聞くことを大切にしている

ありのままの自分でやりたいことをやろう

——安居さんは、学校の先生を辞めて一度は起業をされましたが、再び教育現場に戻られて現在は経営の立場で教育現場に立たれています。行動することにおいて、何を基準に選択されてきたのでしょうか?

私自身、振り返ってみていろいろなキャリアを歩んできたなと思いますが、「これがやりたいからこうして、次はこういう道をいこう」と決めてきたわけではないんです。流れに身を任せて生きてきたというか、ご縁があれば受け止めてきました。

かつてラジオ局を起業したときの経験から、自分を必要としてくれる相手がいてこその人生だと思っているので、呼んでいただけたら力になりたいと思いますし、やりたいことが同時に2つ出てきてしまったら、楽しい方を選ぶようにしています。もしどれも楽しいと思えることだったら、その中で一番苦しい方を選ぶというのを判断基準にしてきました。

少し変わったキャリアですから、よく「アドバイスをください」と言われることも多いのですが、アドバイスできるほどのことはなくて。常におもしろいことを探して生きているだけなんです。

ただ一つ言えることは、人が好きだということと、相手に対してありのままの自分で向き合ってきたということです。興味を引かれた人には、自分からアプローチして、その人から何か学べないか、一緒にできることはないかと考えながら、人間関係を結んできました。そこからご縁が広がる形で、次の仕事につながったり、新しいことをご一緒する機会につながってきました。

全ては人の縁のつながりであり、素の自分で人と接することによって得られるものは必ずあると思っています。

等身大の学校づくりについて語る安居さん

——転職を考える人の中には、新しい組織に馴染めるか不安に思う人も少なくありません。安居さん流の環境適応術があればぜひ教えていただきたいです。

先ほど、素の自分で人と接することを大事にしてきたと言いましたが、どこの組織にいるにせよ、「自分はこんな人間だ」というのをどれだけちゃんと出せるかが一番大事なのではないかと思いますね。

変に取り繕って格好つけたって、そのうち素の部分が見えてしまいます。取り繕うくらいなら、「自分はこういう人間で、これだけのことしかできないけれど、こういうことは得意で逆にこれは苦手です」といった形で、素の自分をさらけ出した方がいい。それが、組織の中に馴染むための大きなポイントだと私は思っています。

ただ、実をいうと私自身はかつては石橋を叩いても渡れないような小心者で、自分は何の能力も取り柄もない人間だと思っていました。そんな中でも、やりたいと思ったことを思い切りやって、自己肯定感を高められるような経験をいくつも重ねてきたから、今こんな風に思えているわけですけれど。

——安居さんがそうした考え方を抱くように至る、何かターニングポイントとなるようなことがあったのでしょうか?

教員になって2年目に、母親を白血病で亡くしました。このときのことが、私にとってのすごく大きなターニングポイントになりました。

私は石橋を叩いてもわたれないタイプだったと言いましたが、こんな弱い自分を育てたのは母親の責任だと思っていました。でも、母が半年間の闘病の末に亡くなったときに、「これからどうすんねん」と思いながらふっと窓の外を見ると、人々が普通に生活する日常の風景が続いていました。その光景を見たときに、「母親のせいだと思ってきた自分は、なんとちっぽけだったのか」と思ったんです。

これまで、小心者の自分は他人に合わせてどうやって生きていくかと考えてきたけれど、その前にやることがある。それは、安居長敏という素の自分がどうしたいかを考えて、まずやることだと悟りました。

もう他人に合わせるのはやめよう。やめていいんだ。石橋を叩かなくてもいい。石橋すらないかもしれない。

それまで世間体をすごく気にして育てられてきた私は、常に自分を俯瞰しながら生きてきました。やりたいことも我慢して、人に言われたことも、自分で咀嚼して、こう返したら相手は喜ぶかなという視点で自分の行動を決めてきた。そういうことが、どうでもいいことじゃないかと思えたんです。

それが、私にとって最大にして最高の教育でしたね。

子どもの前だけでなく、大人とも素の自分で向き合う

素の自分を出せば怖いものなし。きっとうまくいく

——これからの時代、どういったマインドが必要かを教えていただいたように思います。ただ、肩の力を抜いて素の自分になるのは大切なことだと思う一方で、とても難しいことのようにも思います。

そうさせているのが、実は学校教育なんじゃないかと最近よく思うんです。

こうありなさい、皆の前ではこうしなさい、こういう生き方がいいからこういう風にすべきだという考え方が学校の中では蔓延している。学校は、理想的な姿や「こうあらねばならない」という先入観のような枠組みを、子どもたちにどんどん擦り込んでいるのではないかと思います。

そこから子どもたちをいかに自由にしてあげられるか

だからこそ、先生自身も一歩飛び出すとか、俯瞰してみることを大事にしてほしいと思います。そうするだけで、環境は全く変わって見えます。先生がいくら生徒を指導したところで、生徒は聞いていません。一歩引いた場所から見てみると、聞いたふりをしているだけかもしれない。

そういうところまで考えが及ぶと、「ちょっと待てよ、今のやり方とは違う方法でアプローチした方がいいんじゃないか?」という風に気づくと思います。

学校教育は、もっと自由でいい。
だからこそ自らも自問自答を続けたい

——最近では、民間の企業から教育の世界に飛び込んで来る方も増えています。これから教育の世界に挑戦しようとしている方たちに、どのようなことを伝えたいですか?

ありのままの自分をさらけ出せるようになることは、組織の中でうまくやっていく秘訣だとお伝えしました。

それは学校の先生という職業でも同じです。

子どもたちは、その先生が何者であるかを見抜く術を持っています。先生の言うことを聞きなさいとか、学校組織の一員なのだから命令に従うという価値観自体が、もはや時代錯誤で崩れています。だからこそ、結局は個人が自分の得意なことを、いかに発揮できるかというところにかかっているわけです。

格好つけずに、ありのままの自分で勝負をすれば、相手はその行動に対して否定はしません。変に見栄を張るから「何をやっているんだ」と突っ込まれるんです。

素の自分を出せば、怖いものなしだということは私のキャリアからも自信を持って言えるので、恐れずに、素の自分をさらけ出してみてください。そうすれば、うまくいきます。

誰でも皆、素直な人には勝てませんから。

取材・文:北川 力 | 写真:ご本人提供