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けいちゃんのハートは

 けい先輩はLPZP株式会社の2年目の先輩社員だ。僕は新卒でLPZP株式会社に入社し、3ヶ月目となる。

「けい先輩、飛ばしすぎですよ~」
「何ばいいよるんか、うちゃまだのめる!」

けい先輩は酔うと博多弁になる。中性的な顔立ちと相まって、とてもかわいらしくなり、女性社員からもチヤホヤされる存在だ。

「宅建士をばねぶりなしゃんな!」

けい先輩は若くして宅建の資格を取り、後輩からの信頼も厚い。僕もよく面倒を見てもらっているから、けい先輩の最近の違和感にはよく気付いていた。

「けい先輩、そろそろ本題に入りましょうよ。」

同期の太一の一言で、酔っている社員とそうでない社員の見分けがはっきりついた。

「何んことと?」
「けい先輩、最近クマすごいじゃないですか~。
やっぱり環境ですよね…?」

けい先輩は広角が緩んだまま、しかし真っ直ぐな目で太一を見つめた。机の下に組んだあぐらが、より強固になるのが僕だけに見えた。けい先輩はみんなに愛されているのに加え、悩むとすぐ顔に出るから、みんなに心配されやすい。けい先輩は、きっと何か答えを求めて僕達を飲みに誘ったのだろう。

「皆そげんことは心配しぇんでよか。」

広角が緩んだままのけい先輩の目線は、アサヒのポスターに。僕達は、先輩が会社の人間関係に疲れ切っていることを確信した。マットな瞳孔の中では、先輩としての面子とSOSが戦い、うっすらとした光を溢していた。気を遣って会話する同期たちは、隣の個室の喧騒にかき消されまいと声量を上げる。

「もう誰を信じたらいいのかわかりませんよね。先輩、そういう時に信じられるのは自分自身ですよ。」

僕は久しぶりに口を開いた。けい先輩の、わかっているよと言わんばかりの表情が麦ソレのグラスの底に隠された。ええ、僕もそれは分かっています。けい先輩の悩みは、3次元で複雑に絡み合っている。当事者の心は締め付けられて、解けたとしても元には戻らない。アルミホイルは金属だから、一度丸めたら延ばしてもシワは伸びない。それと同じで、この会社で自己を保とうとすればその心は二度と元には戻らない。誰も信用できない、大好きな人達がナイフを向け合うこの会社で、けい先輩は難しい時期を過ごしている。答えを求めて行動してみても、答えは見付からない。いや、正確には、答えなんてどこにも転がっているけれども、選択の責任を取れるのは自分自身だけだから、安易に他人の出した答えにはしがみつけない。だから結局、答えは自分で作り出さなければならない。それが「生きる」ということか。伝票を持った店員さんが、ポン菓子を持ってきてくれた。懐かしさと優しさで、一瞬けい先輩の目に光が宿ったような気がした。けい先輩は座敷の端まで行き、靴べらを手にした。重ねられたお皿にはもつ煮の透き通った残り汁が、暖色の光を受けて琥珀色に輝いていた。

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