命題集 未来のための哲学講座

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命題集 未来のための哲学講座

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最近の記事

競技場においてある相手が我々に爪で裂傷を負わせ

「競技場においてある相手が我々に爪で裂傷を負わせ、頭でひどくぶつかってきた。しかし我々は抗議を申込みもしなければ気を悪くもしないし、その後も相手が我々にたいして悪事をくわだてているなどと疑ったりしない。もっとも我々は彼にたいして警戒はしているが、それは敵としてではなく、また彼にたいして疑惑をいだいているわけでもなく、好意を持ちつつ彼を避けるのである。我々は人生のほかの部面においても同じように行動すべきである。我々とともに競技をしているともいうべき人たちにたいして、多くのことを

    • 名誉を愛する者は

      「名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、五一、p.114、[神谷美恵子・2007])

      • 自分に起こること

        「自分に起ることのみ、運命の糸が自分に織りなしてくれることのみを愛せよ。それよりも君にふさわしいことがありえようか。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第七巻、五七、p.134、[神谷美恵子・2007])

        • 君の肉体がこの人生にへこたれないのに

          「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、二九、p.103、[神谷美恵子・2007])

        競技場においてある相手が我々に爪で裂傷を負わせ

          波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ

           「波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。岩は立っている、その周囲に水のうねりはしずかにやすらう。『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』である。なぜなら同じようなことは万人に起りうるが、それでもなお悲しまずに誰でもいられるわけではない。それならなぜあのことが不運で、このことが幸運なのであろうか。いずれにしても人

          波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ

          つねに信条通り正しく行動するのに成功しなくとも

           「つねに信条通り正しく行動するのに成功しなくとも、胸を悪くしたり落胆したり厭になったりするな。失敗したらまたそれにもどって行け。そして大体において自分の行動が人間としてふさわしいものならそれで満足し、君が再びもどって行ってやろうとする事柄を愛せよ。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第五巻、九、p.78、[神谷美恵子・2007])

          つねに信条通り正しく行動するのに成功しなくとも

          ある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明

           「もしある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明し納得させてくれることができるならば、私はよろこんでそれらを正そう。なぜなら私は真理を求めるのであって、真理によって損害を受けた人間のあったためしはない。これに反し自己の誤謬と無知の中に留まる者こそ損害を蒙るのである。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、二一、p.101、[神谷美恵子・2007])

          ある人が私の考えや行動がまちがっているということを証明

          公益を目的とするのでないかぎり

           「公益を目的とするのでないかぎり、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな。なぜならばそうすることによって君は他の仕事をする機会を失うのだ。すなわち、だれそれはなにをしているだろう、とか、なぜとか、なにをして、なにを考え、なにを企んでいるかとか、こんなことがみな君を呆然とさせ、自己の内なる指導理性(ト・ヘーゲモニコン)を注意深く見守る妨げとなるのだ。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第二巻、四、pp.37-38、[神谷美恵子・2007])

          公益を目的とするのでないかぎり

          名誉を愛する者は

          「名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第六巻、五一、p.114、[神谷美恵子・2007])

          せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう

          「せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第二巻、六、p.27、[神谷美恵子・2007])

          せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう

          人生を建設するには

          「人生を建設するには一つ一つの行動からやっていかなくてはならない。そして個々の行動ができるかぎりその目的を果たすならばそれで満足すべきだ。しかるに個々の行動がその目的を果たすようにするのを、誰一人君に妨げうる者はいない。『ところが外側からなにかの障碍が起ってくるだろう。』しかし君が正しく、慎み深く、思慮深く行動するのを妨げうる者はいない。『だが、もしなにかほかの形の行動が妨げられたらどうする。』その場合にはその障碍を快く受け入れ、思慮分別をもって許されていることに転向すれば、

          思い起せ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか

          「思い起せ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。しかし今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明をとり入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとはならないであろうことを。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第

          思い起せ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか

          未来のことで心を悩ますな

          「未来のことで心を悩ますな。必要ならば君は今現在のことに用いているのと同じ理性をたずさえて未来のことに立ち向かうであろう。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第七巻、八、p.118、[神谷美恵子・2007])

          未来のことで心を悩ますな

          現在の時を自分への贈物として与えるように心がけるがよい

          「現在の時を自分への贈物として与えるように心がけるがよい。それよりも死後の名声を追い求めるほうを選ぶ人は、つぎのことに気がつかないのだ。すなわち未来の人たちも、現在重荷に思われる人びととまったく同じような人間であり、やはり死すべき人間であるということである。いずれにせよ、その人たちが君についてこれこれの反響を示したり、君についてこれこれの意見を持つとしたところで、それがいったい君にとってなんであろう。」(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第八巻、四四、p.1

          現在の時を自分への贈物として与えるように心がけるがよい

          君の全生涯を心に思い浮かべて気持ちをかき乱すな

           「君の全生涯を心に思い浮かべて気持ちをかき乱すな。どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。『このことのなにが耐え難く忍び難いのか』と。まったくそれを告白するのを君は恥じるだろう。つぎに思い起こすがよい。君の重荷となるのは未来でもなく、過去でもなく、つねに現在であることを。しかしこれもそれだけ切り離して考えてみれば小さなことになってしまう。またこれっぱかしのことに対抗することができ

          君の全生涯を心に思い浮かべて気持ちをかき乱すな

          君の魂の指導理性であり支配者であるところのもの

           「君の魂の指導理性であり支配者であるところのものは、君の肉の中に起る剛柔の動きに、泰然自若としていなくてはいけない。このような動きにはかかりあわずに孤立し、欲情は肢体の中にとじこめておくべきである。しかし〔他の〕交感性があるために、一つの体である以上当然考えられるように、欲情が精神の中にも昇って行くときにはその感覚は自然のものなのだからこれに抵抗しようとしてはならない。ただし君の指導理性はこれが善いとか悪いとかいう意見をみずから加えぬようにすべきである。」(マルクス・アウレ

          君の魂の指導理性であり支配者であるところのもの