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【読書雑記】二人の作家の作品を読んで感じたこと-太宰治と西村賢太-

 これから、ウソの出来事を話します。言いかえるなら妄想です。

 ある日、わたしの目の前に顔見知りではないけれど、一目で読書家だと分かるひとがきて、わたしにこう言いました。

太宰治は、どうしようもない

 唐突に言い切ってくるのです。そして「あなたもそう思うよね?」と同意を求めてきます。

 しかし、わたしは当惑しました。

 太宰治という人物のことを想うと、少なからず「どうしようもない」と思ってしまいます。しかしもし、この読書家が「太宰治の書く小説に描かれている登場人物」のことを「どうしようもない」と言っているのだとしたら、わたしは同意してしまうかもしれません。

 最近、太宰治(1909~1948年)の『燈籠』という掌篇小説を読みました。この作品の主人公となるのは、ある意中の男性のために盗みを働き、周囲の人たちから蔑まれて好奇の的になってしまった女性です。さらに彼女は、その男性からも、手ひどく嫌われてしまいます。本作はその女性の心境を描いています。

 この掌篇小説『燈籠』を読んだあと、太宰の短篇小説の中でもファンの多い(と聞いています)『女生徒』という一篇を再読したのですが、こうした読書を通じて、太宰作品について思いを馳せるようになりました。

 太宰治の描く人物の言動を見ていると、もっと上手く事を運ばせることができたのではないかと思うことがあります。『人間失格』にしろ『ヴィヨンの妻』にしろ、もしくは『走れメロス』にしろ、そこで描かれているのは、どこか不器用で、しかしその不器用さを受け入れることを強いられているような、そんな人物たちのように見えます。

 わたしは、否定的にそう言っているのではありません。むしろ、太宰治という作家とその作品が愛される理由は、人間は様々な意味で「どうしようもない」のだということを、的確に描いているからなのではないかと思うときがあります。

 わたしの好きな私小説の書き手のひとりに、西村賢太(1967~2022年)がいます。こういうと、暴力的な描写が好きなのかと邪推されるかもしれませんが、そうではなく、わたしが彼の私小説を愛読しているのは、彼の描く主人公・北町貫多の「生き方」に、深い感情移入を抱いてしまうからです。

 数ある西村作品の中から、貫多が不器用さのために空回りをして、自分を追い詰めていく(自分から追い詰められていく)様子を描いた一篇に『人もいない春』という短篇小説があります。

 製本所でアルバイトをしていた貫多は、自分のミスを咎めてくる工場長的な立場の男性に、憎悪を募らせていきます。そんな彼は、バイト仲間がこの男性の分の弁当を食べてしまうという失敗をしてしまったときに、それを叱る彼に嫌味をぶつけます。

 そのことで一目置かれた存在になったと勘違いした貫多は、年上のバイト仲間たちに横柄に振舞うようになります。しかしバイト期間を延長しようとしたところ(貫多のふるまいが原因で)断られ、実はバイト仲間たちからも煙たがられていることが分かり、孤独と給金を抱えたまま製本所を飛び出します。

 折角親しくなり、これからも付き合っていきたいと思っていたバイト仲間たちを勝手な思い込みのために失い、ふて腐れた態度により工場長的な立ち位置の男性に反感を抱かせてしまい、バイト先をなくしてしまうのです。

 ともかく給料を手にした貫多は、その後、いかに楽しんで過ごしてやろうかと、野球の試合を観にいったり、好きなものを食べようとするのですが、ことごとく裏目にでてしまいます。

 小さなころに愛したチームの、ユニフォームと所属選手が変わったことで興が乗らず、カレーを食べたいと思いお店に行くが、閉店間近だからと断られてしまい、コンビニでレトルトのカレーを買い温めずに食べる。

 傍目からみたら散々な有様です。このようにうまくいかないことが続くと、貫多は(安全圏から)出会う人たちに暴言を吐き、青春を謳歌している男女を妄想の中で痛めつけます。

 完全無欠な人というのは、もしかしたらいるのかもしれませんが、少なくともわたしはそうではありません。失敗ばかりです。それに、上手くできたと思ったことでも、後から振り返ってみると、もっと上手くできたはずと後悔することがあります。

 それを「どうしようもない」という一言でまとめると、自己弁護のように聞こえるかもしれませんが、人は何ごとも完璧にできないものですし、やはり「どうしようもない」のだと思います。

 しかしそうした諦念を抱きつつも、前へと進んでいく力(勇気)を持てるかどうかというのを、(何者かから)試されているのかもしれません。こうした諦念に安住してしまうと、なにもしたくなくなるでしょうから。

 今回は説教じみたような(?)記事になってしまいましたが、その説教の相手というのは、不器用さのあまり現状維持に甘んじようとしているわたし自身です。

 しかし自己批判の記事でありながらも、本の紹介として読んでいただけるような文章になっていたならば幸いです。

【参考文献】
・太宰治『女生徒』角川文庫、2009年改版。(「燈籠」「女生徒」収録)
・西村賢太『人もいない春』角川文庫、2012年。(「人もいない春」収録)

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