天使のナイフ/薬丸岳

 最近、9番街レトロにハマっている。変なコンビ名の芸人である。とりわけ、京極風斗という男が好きだ。洒落た名前の芸人である。芸人という名にふさわしく、彼は絵を嗜み、レトロ雑貨を愛し、そして読書家であるらしい。そんな彼が「道徳の教科書はこの一冊でいい」と評するのが本書である。

 好きな男が追った文字列と一言一句違わぬ文字列を追う。物語が展開する度に、好きな男はここでどう思ったのかという余計なことに思いを馳せてしまって厄介だった。私は今、京極が追った文字列と一言一句違わぬ文字列を追っている。京極は何を思ったのか。そんなことを考えながら、文字列を追い続ける。京極を追い続ける。今日もたった7分の彼の出番を見るために劇場に足を運んだ。

 日本の法律では、14歳未満の者に刑罰を与えることはできない。最愛の妻を殺した犯人は、たった13歳、中学1年生の3人だった。

「遊び金欲しさに盗みに入ろうと思った。でも、鉢合わせしてしまったから殺してしまった」

 あまりに幼く、短絡的な加害少年達の動機に、愛妻を失った主人公の桧山は、"贖罪とは何か、本当の意味での更生とは何か"を考え続ける。加害少年のプライバシーを守るため、被害家族には十分な情報提供は為されず、家庭裁判所における裁判に立ち合うことも、愛する人を失った苦しみも、その慟哭をも伝えることはできない。

 少年には"可塑性"がある。まだ幼い子どもはこれからいくらでも変われる可能性があるという意味だ。少年はその可塑性故に、守られる。実名報道で人生が潰されないように、更生の道を阻害されないように。

 桧山は、その少年法が守ろうとするものに対する違和感を覚えていた。いや、違和感よりももっと感情的な強い怒りを覚えていた。被害者家族が突き放され、遺族の感情は蚊帳の外に置かれた疎外感。それはグラグラと煮えたぎる活火山のように、冷めることはなかった。

 真実を知るために、桧山は少年法によって隠されてしまった事件の詳細を追っていく。しかし、その全貌を目の当たりにするにつれて彼の考え方は次第に変わっていく。

 物事は多面的である。賛成、反対という二択では多くの重大な要素が抜け落ちてしまうことがある。その最たる例が少年法であるように思う。少年法に賛成か、反対か。少年を刑罰に処すべきか、そうでないか。そんな短絡的な議論では救われない感情が渦を巻き、憎しみと悲しみ、負の感情の連鎖は断ち切れない。

 少年法に意義を唱える者へ。この本を閉じた後でも、本当に少年に刑罰を処すべきだと思うか。大人と同じように裁判にかけるべきだと思うか、試してほしい。

 そして、現行少年法を是とする者へ。この本を閉じた後でも、本当に現行少年法を肯定できるか、是非試してほしい。そんな一冊であった。

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