授業中の曖昧な「〇〇してみよう」がとにかく苦手だった

 私が小学生の時に本当に苦手だったのが、授業中に先生から発せられるこんな課題でした。

「感想文を書いてみよう」
「アイデアを自由に書いてみよう」

先生からプリントが配られた時点で気分は憂鬱、皆がすぐにカリカリ書き出すのが正直意味わからんと思ってました。特に書いたものを適当に当てて発表させられる時は地獄でした。

 とはいっても、最初から苦手だったわけではありません。国語が得意だったので作文自体は苦手ではなかったですし、図画工作など自由に作品を作るのはずっと好きでした。
 それなのになぜ自由に書いてみよう、という課題が苦手だったかというと、テンプレが理解できなかったからです。
 こういう紙には大体字と絵のバランスをこのくらいで書こうとか、こういうことを書いておけば無難だろうとか、箇条書きにしておけば良いだろうとか、そういう条件に応じた臨機応変がとにかく苦手だったのです。
 発表がある時はほんとに地獄で、他の人が発表してる間に自分だけ突拍子もないことを書いていることに気づき慌てて全文書き直したりしたことも何度もありました。特に音楽の感想文や、社会のイラスト付きのアイデア出し(地域活性化や環境問題とかね)、道徳の授業など。

 具体的な内容はもう10年以上前なので正直覚えていませんが、当時はそれを自分の個性とは思えず自分の意見や表現するものにどんどん自信をなくしていきました。
 実際に、発表で自分だけ皆と違う書き方をして恥ずかしい思いをすることが何度もあったからです。なんで皆はあんな曖昧な指示を理解できるんだろう、どうして私は察しが悪いんだろう、と悩みました。
 そのうち、他の人がどんな風に書いてるかしばらく眺めてから書き始めたりするようになりました。自分の本心は書いてもどうせ呆れられたり、先生に苦笑いしながら修正されたりするくらいなら「ありきたり」をいこう、と思いました。

 成長するにつれて流石に場数を踏んだからかおかしな回答を書くことは減り、WordとPower Pointなどを使用する機会が増えたことで適切なまとめ方も覚えていきました。

 今ふと振り返ると、そんな私のことも個性として認められていたら、、、、と考えます。
 もっと自分を表現するのが上手くなっていたかもしれない、もっと好きなものは好きと堂々と言えるようになっていたかもしれない。
 ただ、時間はかかりましたが今では個性として考えられているので、ゆっくり自分らしく生きることを挑戦し続けてみようと思います。

p.s.めちゃくちゃ久しぶりに開いたら下書きに残っていたので、加筆修正して出してみました。たまーに思い出したら書いてみようかなと思います。

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