休めない

体調が悪ければ休む、人との接触を減らす、ということが世の中で推奨されるこのご時世であるが、以前はどうだったのだろう。少なくとも、体調不良で休むことは甘え、多少無理してでもがんばるのがいい、と思う人は今より多かったと思う。

私は小学校3年生ぐらいから、毎日お米を研ぐことが決められて仕事になっていた。お小遣い制がなかったので、一週間休まずつづけたら100円、という決まりになっていたのだが、「手伝いとお小遣いを結びつけるのはよくない」という意見を両親がどこかで聞き、そこからお小遣い100円という制度だけなくなった。高校を卒業して家を出るその前日まで、私がずっとお米を研いでいた。余談だが2歳下の弟もお手伝いによるお小遣いを導入されたが、お小遣いを無しにすると両親に言われたとたんにその手伝いをやめている。

そのぐらいの時期から母がパートを始め、最初はお昼過ぎまでだったのがだんだんと午後4時近くまでになっていった。

小学校何年生の時だったか、というのははっきり覚えていないが、午後3時を過ぎても母が帰ってこなかったら、私が学校から帰ってきても母が帰って来ていなかったら、洗濯物を取り込んで畳む(生乾きのものは一つのリングハンガーにまとめておく)のが仕事となり、食事作りの野菜の皮むき等、配膳、食後は食器を下げて母が洗い終わった食器を拭いてしまう(のちに拭くのは弟、しまうのは私になった)、ということが加わっていった。

発熱して学校を休んでいて食事がとれなくても、その手伝いを休むことは許されなかった。「お父さんもお母さんも具合が悪くても仕事や家のことをやっている。そうしないといけない。だからお前もしっかりしなさい」と言われて、熱を出して部屋で寝ている私を父が起こしに来ていたのだ。

食欲がなくて食べられなくても、作ってくれた人(母)に失礼だからきちんと食卓につきなさい、と父に言われて、食べるふりをしながら食卓につき、みんなの使った食器をさげた。体調が悪いのを表に出すのはいけないことだ、と両親に言われていたので(言わなくてはわからないんだから言いなさい、と矛盾する内容で叱られもした)、母が食器を洗い終わるまで自室のほかの部屋からは見えない位置に座って待機し、食器をしまった。しまいに行くのが遅れると、弟がこれみよがしに拭き終わった食器を積み上げているからだ。

小学校6年生の7月、私は原因不明の体調不良に襲われた。持病等はなかったのだが、咳・くしゃみはほとんどでないのに発熱が続き、夜も寝ていられないレベルになっていた。食べ物も受け付けない状態となり、かかりつけ医に行くも原因がはっきりしなかった。

そんな状態でも、家でのやることは減らなかった。母は私の弱っていく様を目の当たりにし、食事作りの手伝いや洗濯物を取り込んで、とは言わなくなったが、問題は父だ。家にいる時間の短い父には、特に体が弱いわけでもなかった娘の体調不良を理解できなかったのだろう。

週末、父も家にいてお昼ごはんはそうめんだった。

その場合、言われる前に家族全員分のめんつゆを希釈し氷をうかべ、継ぎ足し用のお水、めんつゆのセッティング、言われる前に薬味のネギを載せる小皿を台所の母に持っていかなくてはいけない。今からゆでる、と言われる前から気配でそれを察知して行わなければいけないのだ(言われてからしかできないならそれは人間ではない、動物以下だ、と言われつづけていた)。キッチンタイマーの音が鳴ると同時に、そうめんを入れたザルの水受けとなる大皿を台所に運び、ゆであがった麺を受け取って戻らなくてはいけない。タイミングがズレれば、気が利かないと言われてしまう。早く皿を運べば急かしているようでよくない、と言われ、少しでも遅れれば麺が伸びると言われる。

そこまで準備をしても、もう私には一口も食べる力は残っていなかった。

箸をとらなくてはいけないから、めんつゆの器に浮かんだ氷を一つ、口にいれた。それで限界だった。

週明け、全く回復しなかった私はかかりつけ医から入院するように言われ、その後3週間を病院で過ごすこととなった。

体調不良の原因は虫垂炎と胃潰瘍だった。

おそらく強いストレスがずっと続いていたことも原因の一つだろう、と医者から両親に説明があったそうだ。その後引っ越したりして新しい病院にかかる際にこの時の病気は一応申告する(初心問診票に欄がある場合がほとんどだから)が、「痛みのない虫垂炎はストレス性だね」「小学生で胃潰瘍ってよっぽど精神的に追い詰められていたのですね」と言うお医者さんがほとんどだった(偶然かもしれないが)。

そして、体調不良でも入院するまでは休んではいけないのだ、という認識が払しょくされることはなく、一人暮らしをしているのにいつも通りの最低限の家事は行ってしまうし、資格試験の勉強をしていた時には38度の熱が出ていても決めていた分は問題を解いていた。死んでしまった場合にすぐに対処しないといけない、という思いから、親友(付き合っている人がいればその人)に体調不良を伝えはするが、それだけ。手伝ってもらおうとか何かしてもらおうという気持ちはみじんもない。

同時に、意識を失って倒れるとか、かかりつけ医で明確に出社を止められたり(インフルエンザとか伝染性の病気と診断される)以外は仕事をしなければ、という意識も変わっていない。自分がつらい、というだけで休むのはありえないことだと両親に植え付けられたことはそうそう変われない。

だから、37.5℃以上発熱していたら出社停止、味覚異常等新型ウイルスの特徴とも言える症状がでたら通院or医師に相談してからの出社、という決まりができたことは非常にありがたく思っている。

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