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何もかも嫌になったもう生きたくない②仕事編① 長文で、少し仕事以外のことも入ってます

※不安不満のはけどころ?がないのでここに書いてる
誤字多め 文章構成ぐちゃぐちゃ めちゃ長文
①よりもっと適当に書く

ここ数年私は悪魔に取り憑かれてるんじゃないと言うぐらい負のスパイラルに陥っている。ここ2年のことを話す一部もっと前のことも含まれる

遡ること二年前
私は社会人二年目。2年目の6月ごろ、私は体調が悪くなり始めた、普通の風邪とは何か違い、一週間二週間たっても一向に良くならない、どころか悪化していた。これまで風邪とか以外のものにかかったことがなく、精神が落ちることは多々あったが、寝れなくなったことはないし、不調が続いたことはなかった。当時の私は精神疾患という存在をあまり知らず、自分が精神疾患だと言うことに気づかなかった。症状は体にすごく出て、吐き気めまい内臓冷え腰痛手足の痺れ鼻炎の悪化宙に浮いている感じ冷や汗頭がぼんやりとする多分もっとあったけど、思い出せるのはこのぐらいすごく辛かった
症状がたくさん出て、一向に治らないのでメンタルも不安定になってきて、不眠ではなかったが、イライラしやすくなってきた
私は側湾症だったので脊髄に何かあるのかもと整形にかかったり、内科にかかったり、不正出血も起こっていたので、婦人科にいったりと、色んな科にかかったけど、異常なしだった。大きな病気だったらどうしようと言う不安もすごくあった。
内科は原因が見つからず、薬を飲んでも少ししか改善しないため、通うのをやめた。するとネットで見たら自律神経失調症かもしれないということに初めて気づいてすごく怖かった。治るのに時間がかかること、治るかもわからないこと、再発の可能性があることをみたら不安が一気に押し寄せた。

こうなったのは恐らく、社会人一年目の終わりに付き合いだした彼氏が原因だった。付き合いだして半年ぐらいだった頃から体調が悪くなり始めた。この彼氏のことはまたの機会に書く。
体調がすぐれないながらもなんと最後は一年半と言う月日が流れていた。あんなに毎日のように喧嘩をし彼氏が原因で体調を崩し、心から一緒にいて楽しいと思ったことがない人となぜ一年半も一緒にいたのか謎でした。別れたくもなかったし、そいつがストレスなのに謎

だけど一年前にようやく別れたが、なぜか私は歯列矯正を私は同時にはじめ、歯を8本も抜いたショックから後悔に苛まれる毎日となってしまった。こうなることわかっててやったのにね。いつもこうなのよ私次から次へと問題積み重なって抱えちゃう。
歯を抜いたことによる食べ物の食べづらさ、顔のコケ、顔が老けたようなきがする、などからストレスが溜まり、体の症状は前に比べれば少なくなったが、今度は心が枯れていくような、思い詰めるようになっていきました。気力がなくなっていくような。矯正に関してもっといろんなことががあったけど、今日は疲れたからまた元気出たらどこかで書く。
その頃これも同時に職場の人間関係も悪くなってきた。

私は病院勤めで、総務課でその中の医局秘書。同期は1人しかおらず、総務課は9階にあり、医局秘書は2階にあるので、同期と喋るのはお昼しかありませんでした。同期には何から何まで相談して愚痴っていたため、今思い返すと言いすぎたなと言う思いがありますが、ある日朝見かけておはようと話しかけると、すごい顔をされて振り向かれたのでそんな顔しなくてもいいじゃんとこっちもイラっときてしまい、その日から同期とは一切喋らなくなりました。
そこから一気に溜まり今まで9階の総務課に行けば平和で同期に聞いてもらってたり、みんなにいじられて笑い合ってたから医局秘書内でババアどもにいじめられたって全く気にならなかったものを総務課にいづらくなっただけで、こんなにも体調が悪化しうるものなのかと言うぐらい体調が悪化し、いじめにも敏感に反応するようになってしまった。
正確には体調がと言うより、今度は気力がなくなり鬱っぽくなってきたのだ。ピークは去年の8-11月ごろ
このころは本当に今でも辛すぎて思い出せないほどで記憶がぶっ飛んでいる。何をしていたのか覚えていない。
鬱症状がひどく、休日は気力がなくどこにも行けない、文字が読めない、人の話が頭に入ってこない、何をしていても不安が襲ってくる、電車に乗るのが辛い、通りすがりの人に何かされるのではないかと言うありもしないことを考える。もちろん不眠にもなってきた。全く寝れない。笑顔も作れなくなってきた。挨拶をするのも一苦労。しんどい。ほんとに自分解放したら、明日にでも仕事サボれそうなぐらい限界突破してた。

一緒に働いてるババアどもは50代40代の医局秘書ババアだ。私だけ20代。医局の先生たちも珍しく、年寄りの先生ばかりで、癖が強い先生ばかり。若い先生がいればちょっとは相談聞いてもらえたかもなのに、、
周りの人とあまりにも歳が離れすぎていて、業務を気軽に頼めず、会話も私がしたくなかったので全くしなかった。

いじめは去年の年度初めを機にエスカレート。陰湿ないじめだった。職場の環境的にいじめられていても誰も気づかない誰も見ていない環境にあった。医師人事の男が上司にあたるのだがそいつも総務課の所属となっているので、そいつは9階に席があり、2階には先生に用がある時しか降りてこない。それ以外に関与している人物はいない。なにかトラブルがあっても誰も見ていない、誰も事情を知らない、劣悪な環境であった。

ババアどものいじめは、私標的が私しかいないので2人からの集中攻撃だった。その頃の私は鬱状態もひどく、寄り添ってくれる人もいなければ、職場の人間関係悪化と、プライベートの友達にも相談しすぎて、いつからか返事が返ってこず、相談できる人もいなくなっていた。休日の楽しみも好きだったことに興味がなくなっていたため、趣味もなくなり、心安らげる場所がなかった。

実家もちょうど2年前の夏にも引っ越したため、それもストレス。家がとんでもなく壁が薄い。作りが最悪。隣や上下の生活音や、外の音や声がめちゃくちゃ聴こえるようになったせいで、家にいても気が休まらなくなった。なんでこんな家を買ったのかとどうして両親はこんなにバカなのだと嫌になった。もっといい家あっただろうと。前の家の方が狭かったけど全然よかったよ、、
この引越しの話は、父親の救急車の話と繋がる。①の母親編で書いている

長くなりすぎてるので、次回仕事編②に続く

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