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時間と記憶と魔法と魔族 『葬送のフリーレン』第12巻を前に [E]

単行本派で、連載は読んでいませんごめんなさい。
葬送のフリーレン』第11巻の終わり・第107話で“とんでもない出来事”が起こった。第12巻を読んだら書けなくなるかも知れないので発売される前に記しておく。

なおここで使う“プロット”と“ストーリー”はだいたい以下の意味。

  • プロット: 物語の骨組み。出来事を因果関係の順に並べたもの。

  • ストーリー:物語の流れ。出来事を語られる順序で並べたもの。



魅力

「冒険が終わり、勇者が没する」ところから始まる物語、「現在の旅と勇者の冒険譚の重ね合わせ」という構成は、それだけで興味をそそる。

語り口が飄々と淡々としているから軽く読み流すこともできてしまうけれど、読み返すたびに何かしら発見があったりして、何度読み返しても飽きない。劇団フリーレン一座のコントも楽しい。
何気ない台詞や細かい所作に伏線があったり読み解く鍵が断片的にさりげなく提示されていたりするのに気づく。
各話とその連なりにいくつものプロットやテーマが織り込まれている。
けっこう重厚で骨太な物語と思っている。
そうした発見から想像も膨らむ。

というようなことを文にしておきたくなった。第107話で起こったとんでもない出来事は以降の展開に影響を及ぼさない筈がなく、もしかしたらここに書くことがひっくり返るかも知れないから(連載ではすでにひっくり返っているかも知れないわけだが)。


主プロット(メインプロット)

言うまでもなく主なプロットは2つ

「時間、記憶・追憶、憶えていること(忘れずにいること)」というモチーフから、次の2つがメインプロットに据えられている。「葬送のフリーレン」の“表の意味”ですね。

  • メイン①・ヒト族にとっての“時間”に無頓着だったフリーレンは、勇者ヒンメルの死後「もっと人間を知ろう」と思い、ハイターとアイゼンに背中を押され、勇者ヒンメルやハイターの魂に逢うべく“魂の眠る地”(オレオール。作中では“天国”とも称される)への旅に出る。

  • メイン②・①の旅で、ヒンメル一行の足跡=勇者の冒険譚を“再話”する

メイン①・勇者ヒンメルやハイターの魂に逢うべく、魂の眠る地への旅に出る

魂の眠る地(オレオール)を目指すことになったのは第7話、大魔法使いフランメの手記とアイゼンのアドバイスを容れてのこと。
魂の眠る地は大陸北端エンデにあるとされる。第8話でアイゼンが「エンデまでの道のりは覚えているな」とフリーレンに言い、フェルンは「そうか……ヒンメル様たちが魔王城を目指した道のりと同じなんですね」と応えている。

だが、そうでなくともかつての旅路を辿りはしただろう。エンデまで行っていたかはともかく。
フェルンと共に旅立ってから、「風化する前にできる限りヒンメル達との冒険の痕跡を辿りたい」(第2話)と、勇者一行ゆかりの地を巡っている(第3話・第5話・第6話)。「葬送のフリーレン」の面目躍如。
フリーレン自身はそれが自分にとって大切なことなのかどうかも「わからない。だから知ろうと思っている」(第2話)と話す……

興味深いのは、オレオールに行くことになった時点では、乗り気でもないし、「死者の魂が集まる」という話を真に受けている風でもないところ。

メイン②・①の旅で、ヒンメル一行の足跡=勇者の冒険譚を“再話”する

メイン②は本作の主旨からはサブプロットとも見えるし、ストーリー上の工夫とも見ることができるし、そう解釈するのが妥当なのかも。

本作はフリーレンの物語だが、ヒンメル一行の冒険なしには始まらない物語でもある。それなのに勇者ヒンメルの死が起点であって“勇者の冒険譚”はまるっと省かれている。
それを補うかのように、折に触れての回想という形でヒンメルの人となりや勇者一行の旅を点描する。
回想は本作のモチーフを体現する行為でもある。

この仕掛け、つまりカットバックですね(と捉えるならやはり「ストーリー上の工夫」か)。
どこかで触れられるべきことを折々の回想という形で取り込んでいることで、読者は現在の作中人物の現在の旅を見ながら、並行して「80年前の勇者の冒険」を重ねて見ることになるし、ヒンメルの人となりを(没後30年も経つのに)まざまざと思い浮かべることになる。


副プロット(サブプロット)

……というメインプロットに、副次的ではあるけど重要なプロットが絡んでいる。というのが、読み進めると見えてくるのだった。

サブ①・弟子たち(若い世代)の成長物語

メインプロット①(≒ストーリー)に被さる形で、旅に同道するフェルンとシュタルクは育ての親や師匠から聞かされているであろう「勇者一行の冒険」を追体験する。
そしてこの旅を通して、魔法使いとして・戦士として成長していく。

育ての親や師匠から「とんでもない{魔法使い, 戦士}になる」と素質を認められる二人が魔物退治を皮切りに、それぞれ初めて単騎で魔族と闘った「断頭台のアウラ」編を経て経験を積んで、魔族との闘い(サブ②)ではそれぞれの戦闘力の向上や二人の連携にも成長の姿がさりげなく描かれる。
それをフリーレンが見守るさまは、「未熟な若者の成長物語」の構図にはまっている。

これも“時間”モチーフにつながるし、ヒンメル達も冒険を続ける中で経験を積んでいったこととの重ね合わせでもある。

サブ②・魔族という存在との対峙/退治

北部高原に入ってから「魔族という卑怯で狡猾で残忍な生物」のありようや、人類との決定的な違いの描写・説明が増え、解像度が上がっていく。それに呼応するかのように、この世界の魔法の“原理”や“仕組み”の解像度も上がっていく。

この世界の魔法について詳しめの言及がされたのは第5話・腐敗の賢老クヴァールとの対決が最初で、“一般攻撃魔法”ゾルトラークと防御魔法のかんたんな歴史と変遷が語られた。
「断頭台のアウラ」編(第14話~23話)でゾルトラークを引き合いに出して魔法の解説があり、「一級魔法使い試験」編で“原理”や“仕組み”に触れた魔法談義の圧倒的な物量攻撃が始まる。
これらの魔法談義は後の魔族との遭遇戦に効いてくる。

魔族という存在の特性に初めて言及されたのは「断頭台のアウラ」編が最初。ここで「葬送のフリーレン」が魔族側がつけたフリーレンの二つ名であるらしいこととその意味(「葬送のフリーレン」の“もうひとつの意味”)が明かされて、「魔族という、人類と相容れない存在との対立」というのも本作のテーマらしいことが浮かび上がってくる。
(読み始めた当初はこの辺を重視していなくて、「魔王を倒して平和になった世界をのんびり旅して、ヒンメルたちの魂に逢いに行く」ほんわかしんみり旅紀行漫画なんじゃないかと思っていたんだよ……ほんとなんだ……)

北部高原以降、魔族の出現頻度が高まり、遭遇戦も増える。直近は第81話から24話、足かけ三巻を費やした「黄金郷のマハト」編ですよ。描く気満々で設定を練り込んでいるじゃないですか。

ヒンメルたちは魔王を倒したものの、魔族を殲滅したわけではないこと、北部高原には(魔王軍の残党を含めた?)魔族がまだ跳梁跋扈しているらしいこともだんだん判ってくる。これ、描く気満々じゃないですか?

サブなのか?

この文章を書き始めた時はこのように考えていたのだが、最近の比重からすると「実はサブ②がメインでは?」と思いたくなる。

フリーレンの旅の“主目的”からすれば、魔族数体の討伐にこんなに話数を割かなくたってよいだろう。

いやいや、そうじゃない。
フリーレン自身が幼い頃に魔族に集落を滅ぼされているし、師匠フランメも魔族を倒すことを最優先に修行をさせてきた。魔族が人類に害をなす存在であり、共存できない以上、殲滅は大きな動機だろう。「だらだら生きてきた」というフリーレンの自嘲を真に受けちゃいけない。
(その「だらだら生きてきた」が、エルフの時間感覚に根ざした発言だったりする可能性)

また、残存する大魔族がこれだけ強力ということは、ヒンメル一行の旅と闘いがそうとう凄絶なものだったであろうと想像させる。回想の重ね合わせと逆に、「現在を通して勇者一行の冒険を描いている」とも見ることができる。

本稿でサブ②としているのはテーマその2であり、メインプロット③なのかも知れないな。なによりタイトルが「葬送のフリーレン」なのだから。


これらを編み込んだストーリーが重層的にならないわけはなく

「現在の旅(メイン①)に魔族との闘い(サブ②)が挟み込まれ、並行してフェルンとシュタルクの成長物語(サブ①)が描かれ、随時勇者の冒険譚(メイン②)が重なる」というストーリーに加えて、“シリアスパート”の合間には“息抜きパート”が配され、旅先で訪れた街の暮らしや出逢った人々の情感や、くだらない冒険の一端や、劇団フリーレン一座のコントが描かれる。

“シリアスパート”でも“息抜きパート”でも、ある場面でのある言動や描写が後々の展開への伏線になっていたりもする。たぶんすべての回、すべてのエピソードがつながっているし、“息抜きパート”は捨て回じゃない。

色々な読み方ができて、読むたびに発見があったり読後感が変わったりする所以である。


なお、第107話時点で、時系列的には

  • “とんでもない出来事”の発生場所に来た時、フリーレンがフェルンを連れ旅立ってから5年(以上)経過。

  • 同じ場所にヒンメル一行が来た時、旅立ちから7年後。ヒンメル23歳(勇者ヒンメルの死の53年前)。

    • ヒンメルたちが王都に凱旋したのが旅立ちから10年後、ということは、この時、魔王軍との“決戦”の3年くらい前。

    • 帰途の旅にも時間はかかるから、“決戦”はこの出来事の後ほどなく、だった可能性もある。

    • いずれにせよ、「もうじき大陸北端エンデに到達する」辺りに来ている。

  • ということは、現在のフリーレンたちも(この“とんでもない出来事”が無事終わったら)ほどなくエンデに到着する筈。

  • (現在のフリーレンたちは「魔王軍が掃討されて大陸中がそこそこ平和になった時代」だから、ヒンメルたちよりスムーズに旅を進めていられる可能性が高い。「ダンジョンを隈なく探検したがる」性格のヒンメルがいないのも大きいだろう)

まあそこまでにまだひと波乱ふた波乱はあるんだろうけど。その前に“とんでもない出来事”は何をもたらし、どう決着するのか……


感想と妄想

魂の眠る地と、旅の目的

フリーレンたちが目指す魂の眠る地(オレオール)が本当にあるのかどうか、そこにヒンメルやハイターの魂が来ているかは判っていない。フランメの手記にそう書いてあるだけである。

そこを目指す旅の過程自体が人間を、ヒンメルをより深く知ることだった、という“結末”もあり得る。しかも大いにあり得る。

こうして書いてみて改めて感じるのは、フリーレンは旅を通してフェルンやシュタルクをはじめ多くの人と交わり、ヒンメルたちとの旅の記憶を噛みしめて、もう既に十分に“人間を知って”いるんじゃないか。
(で、それがフランメの遠謀深慮だったりしてね……第7話での師匠(せんせい)の台詞を振り返るとね……ハイターとアイゼンはそうと知らずに乗っかったわけだ(いやハイターならそれを察して、ということだってあり得る))

この先の展開に思うこと

  • エンデに着いたところで、あるいは魂の眠る地(オレオール)を探す中で、魔王軍の残党と“最後の闘い”になるんじゃないかなあ。

  • ストーリーの収まりとしてもそういう展開を想像するけど、「一級魔法使い試験」編で登場した魔法使いたちを筆頭に、もう一度出番があっておかしくない“濃い”キャラが多い。出番があるとすればふさわしいのは彼らの特質がいかんなく発揮できる局面、“最後の闘い”だろう。

    • ヴィアベル、ユーベル、ラントのくせつよトリオ。

    • ゲナウ、メトーデ、デンケンは大きな出番があったから御役御免もありだけど、それぞれ腕利きの魔法使いだしな……レルネンは不完全燃焼だし、ゼンゼは魔法を使ってたのは複製体だし。

    • ゼーリエだって、「比類なく偉大だけどこの上なく尊大な大魔法使い」のままでは不満なのでは。

    • フリーレンたちが多勢に無勢であわや窮地、というところに駆けつけたりとかね……

    • それは「お互いをカバーしながら連携で勝つ」人類の闘い方の最強の事例になると思う。

    • 忘れちゃいけない聖職者で解毒の魔法を使えるザイン。あんな別れ方をしてあれっきりってことはあり得ない。

    • クラフト(旅の武道僧。第24話、第37話)はまったく別の局面で再会してもおかしくないね。それこそエピローグとかでね。

  • 魔族は魔族で、自分たちを「滅びゆく種」と認識している風があるんだよな……

そうして、魔王軍の残党と大魔族たちを殲滅し、「人類社会に本当の平穏をもたらす」のかも知れないともぼんやり思う。フリーレン二度目の凱旋。
そうなることを期待しているのでもなく、ここまでの展開からそんな想像ができるという話です。(これはこれで読みたいけれども、“フリーレンの旅の出発点にして目的”からはずいぶん遠く離れてしまう気もします)


まもなく(2023年12月18日ごろ)、第12巻発売。

そうなるのかどうかも、第107話で起こった“とんでもない出来事”の成り行き次第。どうなっているのか読むのが楽しみで怖い。


2023-12-10, Rev.001

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