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プロトタイプ

おはようございます。いや今日も書きたくてしゃーなかったですよ。とりあえずトーストを焼いてみるんですがね、もう別にそんなに食べたくないんですよ。鬱の前はどっちかって言うとしゃーなし書く期間というか、いやそうでもないにしても4000字書くのがやっとではあったんですけど、ふと今回寝込んでいる時に、もうちょっと多い方がいいな、と思ったもんですから、今悩み中です。鬱の時6000ベースの8000到達目標はいいとして、それ以外の時どうしようかなみたいな。鬱の時よりは少なくていいのかな、と思ってるんですけど、体は動くし書くことにそこまで時間割いてる場合じゃないと思っちゃいそうですし、でもあんまり人に絡みにいくのもねえ。もはやそれでがっかりして鬱に転じることは怖いことではあっても、たとえば消費者金融の活用みたいにこれ始めちゃうと人生終わり、みたいにビビる必要もないわけです。あ、消費者金融ももちろんビビる必要ない側ですよ。めんどくさいけどね。でも仕組みがわかれば、借金返済の。完済日を決めるんです、長引くときはそれまでに膨らむ利子はカチッと算出できますから、もうぱっきり計算できるはずなんです。でも難しいのが、今がもっとも利子の安いタイミング、できるだけはやく、貯金とかしてる場合じゃなく返した方がいいんじゃないかとか、利子が膨らんでいくことの不安そのものにたじろいで、もう考えたくなくなる。まとめて返すのも苦しいし、いっそ何も気にせず最低額で返し続けようとするとまあ終わらないわけですよ。利子計算では残り債務×18パーセントに借りてる日数/365がかかるわけですから、毎月ちょこっとだけ債務を減らそうが容赦無く分子にプラス30されて、つまり、もうええわ。まあびびって然るべき圧がずっとかかりつづけることになるわけですけど、重要なのはあくまでドライに計算して、というのは数字だけ見ろというよりは自分の体調管理がまず第一で、今どうやって借金と向き合うのがいいのかその都度アップデートしろということです。友達に24万円返し終えたら、ようやくアコムの膨らんだ利子を確認するんです。それでいい。そこまではなんとかしのぐ、ある種能天気に、使わないサブスクみたいに八千円払い続ける。で、残り17万円ちょっと返せばいいとわかる。あっくんに借りたお金は無利子だけど、だからこそ先に返さなくてはいけない。流れの中で、意識することもなく勝手に先に減ってきて、終わりが見えてきたからでもあるけど。まず本体を倒すために周りを浮遊してる顔から倒すみたいな、ちょっと違うか。もちろんあっくんも本体だ。でもRPGの敵の強さなんてのはいかに倒すのがめんどくさいかどうかなんだとすれば、アコムが借金の本体とみていいのかもしれない。いったんゴミ出してきます。ビンカンペットボトル。

先に絵を描いた。ヘッドホンをトランスペアレンシーモードにしたら、キーボードの音がよく響く。手が冷たい。まだ、というか冬真っ盛りに入っていこうというところでそういうのも変だが、ここ数日の暖かさからして、まだ朝は寒い。昨日の夜にかけて体はフワッと浮遊感にみまわれながら、しかし足は地についている。浮かんでいるのは、僕の中身である、そんな感触があった。adieuの夏の限りを聴き続けた。今も聴いている。いつも見てます。今も見てます。なんだっけこの曲、今の気分にあっている。穴あきの空か。例の、イヤホンで聞くとインストの方が良くて、ヘッドホンで聞くとモカちゃんの声があった方がいいやつ。昨日、このギターなのかな、ラッドウインプスっぽいなと思った。なんの知識もない。からなんでも言えてしまう。のは怖いことでもあるけど、初動に使うには便利だし、ちょっと前の時代に生きていた人はみんな物事をそうやって始めていたんじゃないだろうか。夏の限り、穴あきの空の並びすごいな。この前が旅立ちでしょ。俺このアルバムが一番好きだなたぶん。adieu3。そのまんま。そのまんまの、ってこと?皆目見当違いなんだろう、そうあってほしい。人からの考察なんて全て、皆目見当違いであると、ウエストランド井口には訴え続けてほしい。なんて言われちゃやる気が削がれるんだろうけど、とか言ってもしゃーないんだろうけど、ってかこういう先回りしたような言い方が好きじゃないのかもしれないけど、ってかそれ井口じゃなくて、俺の話だけど。わかったことを言わないように、一生懸命言葉を選ぶ。慎ましさ。慎ましくいようとするのには、勇気がいる。なめられるから。それでいいとまでは思わないでいいが、まあ、いいかな、俺最強だし、がいつでもキープできるわけでもないし、それを言い続けるためには言っていることがキープされていたんじゃいけない。高まっているかは知らんが、変えていく必要はある。というか必要性に迫られて、有限性にぶった斬られて、変えることになる。変わることになってしまう、その両方、すべてがありえる。旅立ち、夏の限り、穴あきの空、からの景色/欄干、ひかりのはなしだって。ヤバアルバムじゃん。めちゃくちゃ小さいパンをウーバーイーツの備考欄でカットお願いしますって言ってた会社くらいヤバい。着るとデカく見えるから妥当な要望に思えてくるのも不条理であった。パソコンが熱い。近頃まともにシャットダウンしていないからだろうか。音楽を止めたくないからと言って、この前このデスクに開きっぱなしで置いておいて、午前から夕方ごろまでそのまんまでおいたら充電が切れてしまった。そこからフル充電して、今日初めて立ち上げたのだが、バッテリー切れの余韻が残っていて、充電してください、と表示が出た後数秒立って、20秒ほどかけて立ち上がった。いまはサウンドクラウドとnoteを立ち上げたままYouTubeMusicを流している。とはいえサウンドクラウドで同時に音楽も流しているわけでもなしに、ここまで負荷がかかるだろうか。ちょっと一度休ませよう。おつかれ生です。ヘッドホンを繋いでいるのもあるかもね。

おつかれさまです。十分休まっただろう。パソコン。僕はもう、今休みなんていらないんだけど、やりたいことが全部家の中でできてしまうので疲れずに済んでいる。疲れてもいい。11時くらいから隣の駅でレミちゃんとカラオケに行ってくる。昨日は忘年会だったらしく、返信が滞ったことを気に病んでか、朝イチでまた連絡をくれた。今週は平日になかなか連絡を返すような気分じゃなかったのだろう、返信がゆっくりなのが何日か続いたのだが、どちらかというと本人がダメージを負っていたように見える。鬱に入っているときは僕も攻撃的になって、あるいは他者からの干渉、それがたとえ干渉がないということであってもその時の僕にとってはひとつの挑発のように映る、だからなんで誰も返してくれないんだよ、とは思うけど、いや、なんでだよとはおもわないな、全ての原因を僕の中に究明するから、というとまた違うような気もするが、全然人に八つ当たりもするが、長くは続かない、で、仕方がないから自分に戻ってきて、真綿で首を絞め続けるような時間が始まる。僕にとってそれは永遠ではないが、そういう人もいるみたいだ。永遠のように長い時間、というより単なる永遠。終わりが見えないからそう呼ぶしかないし、そう捉えることしかできない。どちらが先かはわからない。

9:00ちょうど、いや1分を回ったところ、そして3000字を回ったところ、どうしよう、多めに書くようにしようかなとまだ悩んでいる。とりあえず、4500からスタートしてみようか。ていうか、まあいいや、僕は1ヶ月の分量がちょうど一冊の本になるくらいにしたいんだけど、それだと1日10枚じゃ300枚で、推敲なしでそのまんま載せてくれるんだとしても心もとないよな。450枚くらい書いて、350枚くらい採用してほしいな。もちろん全部ここにはあるんだけど、ほら、200年後に残ってほしいのはもちろんそうだし、躁鬱大学の文庫版だって手元にあるとお守としてわかりやすくなるし、発光だって枕元に置いとくとよっぽどこちらのほうが枕みたいに思える時もあるし。天使きた。adieuの天使、この曲かわいいのでおすすめです。道ゆくひと、もっと簡単にあいさつしてよ、に心のどこかが触れた人は是非聴いてみてください。

なんか朝イチで4500書き切ろうとしてるが、そこまでやる必要あるのか?と思いつつ、他にやりたいこともない、わけではないだろうがこちらの方がやりたい。パソコンを休ませている間も、2階があまりに寒いのでいても立ってもいられなかったのもあるが、コーヒーをいれに降りたり、穴あき手袋をつけて防寒を強めたりした。そういえば天啓システム、つまり僕が10人のうちこの日描いてくれそうだなと思う人に、描いてほしい日の2日前に個人チャットを飛ばす制度で最近は回っている交換ノートは、若干めぐりが良くなってきた。回したらすぐ描いてくれるけどほんとに描きたいのかわからなかったミネタが日記の途切れ途切れになって、更新の輪から外れた時に改めてその大切さに気付いたと、僕は失って初めて気づいた構文を使ってみたかっただけではないかとも踏んでいるが、彼がそれを言ってくれたのは大きな自信になった。なんとなく、僕だけでなく、「交換ノートをやる人」が活性化する想像をした。昨日なんか積極的に僕のMBTI診断やりましただけの突発的な投稿とか、ヒナタの投稿にもコメントつけてくれたしね、あれ嬉しいんだよね。あとは日記のお題リクエストをもらったから、合法的に10年後の1日のスケジュールを作ってもらうことにした。ただ、やっぱり大きなこと、理想と聞いて思わず膨らめてしまう目の前の風船のような日々を描かぬ限りは取るに足りないと思ったようで、特段今と変わったことはなさそうだと、書いていた。僕もこの機会に、新しいパターンを書いてみようかな、というか前書いてから3ヶ月以上経ってるわけだし、いやそれどころじゃないのかな、いつ書いたんだろう。9月に躁鬱大学読んで、いやもっとあとだな、前のバイト先にいた時、片道40分のチャリンコ道を躁鬱大学の音声版聴きながら涙流してたから、目でじゃないけど、目の時もあったか。それより前に作ったのかあまり覚えていない。でも半年は離れてるから、10年後を思い描くにしても半年経ってるわけだ。書く価値はある。そもそも随分10年前の僕もやりたいことが増えた。それらを1日に少しずつ組み込むことが僕にとっていいのであれば、その作り方は多少違ってくる。せっかくそれは壮大な夢を描いていた気がするから、と振ってもらったことだし、「夢」バージョンも書いてみようか。



できた。スマホで撮ってスマホで載せる。大体このあと下書き保存、できたらパソコンに戻るけど今日はもう4500字いきそうだここまでにしよう。現実はあそびをもたせる、夢はギチギチだ。どっちが心地よいだろう、まあ、現実の方しか体感できないから比べようがないのだがね。また明日ー!


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