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満州からの手紙#6~#10

満州からの手紙#6

 お父さん。
後五ツ寝たらお正月ですネ。
『もう五ツ寝たらお正月だよ。』
幼い頃よくそう言われたお父さん達のあの声を今なお懐しく懐しく思い出します。
お父さん。僕達もお父さん達も又ーツ年をとってお爺さんに近づくのですネ。僕も今度の正月を向かえば明けて二十四才の春を向かえる訳です。

 昔、紫野の大徳寺に一休と言う非常に名識の高い坊さんがありました。その人はお正月を歌いよんで、
『門松は三途の川の一里塚 めでたくもありめでたくもなし』
と言われて、元旦早々人間の頭蓋骨を杖の先につけて門ごとに一軒一軒廻られたそうです。面白い逸話でしょう。
何処にも俗世の一際の砂塵境から解脱して覚りきった禅師の心境がうかがわれるではありませんか。しかも凡俗の僕達の心にも成程!!といった考えを色々な点においてうなずかせてくれます。
 
 そう言った難しい問題にのるのはよしましょう。
お父さん、正月には家へかえったのでしょう。
僕がいなくても僕の妹が沢山いるのでさぞ昨年にも増してにぎやかな正月を向かえられたことでしょうネ。
今日はクリスマスの翌日の二十六日ですからこの手紙がお父さんの処へついた頃はお正月 か調度今かえったところでしょう。だから僕はお正月の終った頃のことをお父さんに聞いているのです。 ハ・・・・・・。

 隊でも経理室の方でいろいろ正月用品の準備が出来ているそうですから故国を遠く離れて はいても、おもちもかずの子もたべてお正月を向かえることが出来るでしょう。
 
 しかしこちらは蜜柑でも餅でも、インキでも酒でも、とにかく一切のものが固く凍って、皆アイスケーキみたいなロざわりに成ってしまうのです。
液体のものは固体に固体は一層固体に成ってまったく変な調子です。

 朝起きるとガラスの内部に霜が降った様に(アイスケーキのあの冷却室の壁に霜柱の如きものが付着しているあれと同じ) 真白です。でなければ、氷の花が (結晶) 美しい幾何学模様を思わせます。

 温かい水をいらって鉄をにぎると、もちをひっつけた如くにちりちりくっつきます。 もう少し寒く成って零下四十度近くに成った頃、 直接手で鉄でもにぎったら大変なことに成ります。

 この地に住む満人の口髭から真白い雪のツララが二、三寸も下がっているのを、気にもとめないでアルいてゆく彼等をみると思わず吹き出します。
これでこの地の寒さも現在の処想像されるでしょう。
まだまだ寒く成るので目下の処はサ ンバソーと言った辺ですから、僕も一層褌をしめて寒さの苦痛から超越してやる決心です。

 お父さん、僕の方ばかりが手紙をかいてもはり合いがありません。
時々はお手紙よこして下さい。
お父さんとお母さんへの手紙を第一にかいているのですから。
 
 はじめの頃はこんなに沢山かいてゆくと時間がかかって困ったけれど、この頃はすぐ五枚や六枚の文句出来てくるように成りました。
何かにさしつかえぬかぎり毎日お便りしましょう。

 今日はこれで止めます。
宇中の教官殿だった先輩の武田少尉殿や、こちらで知り合った山下少尉殿や千波少尉殿には色々やさしくして戴きます。
今日も山下少尉殿に吉田松陰先生の本をかりました。
では、ほんとに止めます。サヨウナラ 
お父さんへ
忠勝


満州からの手紙#7

 お母さん。送りものの中にチリ紙が入れてあるのは一番実用的で嬉しく思います。『からし』が沢山入れてあるのには驚きました。又真綿も確かに受けとりました。とても奇麗な真綿ですネ。お陰でズーとズーと温かくいることが出来ます。
 
 今日もこうして朝食を済ませると電話當番で本部へ来たのです。 (交換手の役目をするのです)
今週中この務めに服務するのですが、ここの仕事は電話がかけられたりかかって来たりしなければ、後は交換機の横でこうして手紙をかいてもよいし、読書してもよいのですから一装用です。(一装用とは兵の一番上等の服、靴、帽等戦用品をさすので、転じて一番割のよいことを意味する軍隊特有の流行語です。)

 今日は軍隊の上等兵殿がよくつかわれるその軍隊の流行語を教えて上げましょう。
『おいコラ!! 何をもさもさしているのだ?』
このもさもさしている、というのはのろのろしているとかはきはきしていないの意味で、入隊当時何もわからなくてぼんやりとしている時など、よく初年兵掛の上等兵殿からこういってどなりまくられたものです。
この他にこれによくにている言葉でぼんやりしている兵隊をたしなめる時は、『おいぼさつ!!とするな!!』という時もあります。

 すべて軍隊は上品味や色気ぬきで、すべてが簡明で荒けづりです。
『おい、あいつ生意気だ呼びつけて気合を入れろ!!』
この時の気合の入れ方には三種類あります。
即ち、説教して長い時間不動の姿勢をとらされるのです。もう一つの気合の入れ方はパン、パン、パンときたらそれで終り。

 さて最後に残った気合入れの方法は、手をふらなくて一定の目標を示してそこまで『ハヤガケ』してかえるのです。これは一回で許されることもあるし、幾時間でも走らされるこ とがあります。
すべてがみている者にはコッケイに感じられるけれど、やらされている者は命懸けです。
この気合入れの方法は一、二、三、一ペンにつかわれることもあるし、二と三の時もあるし色々です。ハ・・・・・・。

 この他に『対向演習!!』というのがあります。
これは二人以上の者が気合を入れられるので、お互い向かい合ってお互いの頬ペタを勢いよくパチンパチンとなぐり合うのですが、こんなのはたまりません。
うらみのない戦友同志でも元気よく気合を入れてやらぬといつまででもやらされるのでネ。
しかし、これは一期頃の話で、今は軍隊の生活にも仕事にもなれきったしするので、あまりしかられるようなこともなく、たまにしかられても静かにさとされる程度で、そちらにいてお母さんが心配される必要はありません。

 もう試験ずみですからハ・・・・。
 
 しかし、こうしたつらい苦しい行程をたどって、精神的にも肉体的にも色々さいなまれて来てこそはじめて、なんでもやれる兵隊が出来上がるので、軍隊のことを社会的見地から批判したところで、それは無意味です。
話がとうとうこんな処まできてしまったけれど、山田兄さんにもこの手紙をみせてあげて下さい。
  
 とにかく軍隊は頑張って陰日向なく黙々と働いた人間が最後の勝利者です。
一度口にした言葉はそれをどうとられても説明も出来ねば弁解も出来ず、誤解されたままでいるより仕方がないので、誤解され易い言語を口にしないことです。山田兄さんにそう伝えて下さい。
今日はここでとめます。 サヨナラ。
お母さんへ
忠勝


満州からの手紙#8

 お母さん。
今朝も朝食を終るとさっそくこうして本部へ来たのです。
昨日は本部から中隊へかえったのは午後の九時過ぎでした。(仕事の都合上こんなに遅く成るのです。)

 夕夜から今朝にかけての寒さは又格別です。衛生兵で戦友の◯の話しでは零下三十度を越えているとのことです。
それでも窓ガラス越しに真紅の太陽が東の山の端から昇りつつあるのがとても奇麗にみえ ます。こうして手紙をかいている手も鉛筆も紙も黄金色に塗りつぶされたようで、その光は 燦然として本部の事務室一杯にひろがっています。
空はあくまでも澄みきったコバルト色の深味をたたえて果てしなくひろがっています。 

 明治天皇の御製に
『朝みどり澄みわたりたる大空の 廣きをおのが心ともかな』
とおよみに成っているのがあるでしょう。ほんとにそう言った気持です。
一種敬虚な気持にさえ成って来ます。
 
今日は二十八日、後三日したらお正月ですネ。
内地のお正月はいいナー
あの古典的な感銘の深い正月気分!!
私は、あの気分はとてもいいものだと思います。
今年はお父さん達と一緒に市内の神社にお参りが出来ません。私の分も拝して下さい。

 もう後二日して金曜日 (三十日) を最後に、この電話當番の勤務も終ります。
そうすれば今迄程長いお便りはかけなくなるでしょうが、命ぜられたこと、与えられたこと、気付いたことはしてからでないと自分達の自由な時間はないのですから悪しからず。 
 
 兎に角正月始めに私は又ここでしつこく言って置きますが、無理をしないで下さい。
体をつかい過ぎていためた後に成ってあせってもそれではおそいのです。
いくらお父さんや私が言ってもついつい忙しさに逐われてそんなことに頓着しないお母さんの気質を知り過ぎる程知っているので、私は気に成ってしつこくこんなことをかくまいと思ってもついついかいてしまうのです。

 私にこんなことを再びかかせないで下さい。 

 私も公務以外の時は許されるかぎり体を大切に大切にしていたわってやる考えです。人の体ははじめから終りまで無理の通るものではありません。
 
 次に、家の様子はくわしくお手紙で知らせて下さいネ。野戦に来て家のことのみに心をつ かっているのは恥でしょうが、軍務の余暇に家庭の情況をはっきり確認しておくのは子供として決して悪いことではありません。
 
 兵事課の伊能の叔父さんによろしく言って下さい。
中学からも河野先生や中野先生が松山へおいでに成っています。
川崎や黒田が時々手紙をくれます。
今日はこれでとめます。
忠勝 お母さんへ


満州からの手紙#9

 お父さん。
昨日は午後急に色々雑事が増して手紙がかけなかったのでお便りしなかったのです。

 今日はとても寒いです。この半截河に来てはじめて体験する程の寒さで、外気の温度は零下三十二度と言った処です。
電話當番で本部来た処、入口の門にたっている歩哨の睫毛やまばらに生えている口髭にまで呼吸がかかって、それが凍って真白い雪のつららが下がっているのです。
手にだいている銃身が凍って白く成っているなぞ驚くにあたりません。
ガラスの内側にも今朝なぞ約二、三分厚さの霜柱が一面に下りているのです。
 
 便所で面白いのは大便が支那の麻喇の古塔のように高く積かさなっていることです。これ は上までとどきそうに成ると棒きれで根元からうちこわすのです。ハ・・・・・・。
小便もくむのでなくてエンピ(スコップ) と十字鍬でほりかえして他へもっていってすてるのです。
インキを使用する時は温爐で凍っているインキをとかして使用するのですよ。
現在僕の勤務している室は、壁の中を石炭をもやしたホノオが通っているので実にあたたかです。
 
 かつてK町のS兵営にいた時、そこから五里ばかり離れた大凌河と言う処へ一泊二日の行軍をしました。そして或る一軒の民家へ泊りました。
自分達のあたえられた室へ案内されて入ってゆきました時、はじめてオンドルと言うものを体験したのです。

 室の左半分が板間で、その上にアンペラがしいてありました。
こんな寒々とした処へ今夜ろくろく毛布もなしで眠るのかなと考えるとフラフラに疲れていたのでヒヤリとしましたが、夜に成ってその下の固いアンペラの上に寝てみると、非常に温かくて、生まれてはじめてオンドルの味を知ったのです。

 なんでもオンドル石と言うのを四方にしきつめて、室の外部からこの床のオンドル石の間へあついほのおを送るのです。ほのおはオンドル石をあつくするので、そのぬくもりが床板をアンペラを通してその上にねている者の体にホカホカした温かさを感じさせるのです。
 
 いつも寒い寒いといって、こたつを親類の第一みたいにされているお母さんにオンドルのある室をこしらえてあげたらとしみじみ考えました。

 雑誌も新聞も手に入るので、ニュース方面は別に無理しなくても知ることが出来ます。

 こちらは一本の杭を立てるのでも実に簡単です。
杭を地面に置いて近所にある雪を集めて来て水をかければ訳なくそれで万事OKと言った工合です。二十分もするとビクともしなく成ります。

 外へ出れば寒いより痛い程に感じるけれど、家の中は温かくて、お父さん達の想像以上に温かい毎日を送っています。四六時中温爐をたいていて、夜寝る時でも室の中で一人は不寝番として常に火災の用心から温爐のたき役に一時間交替でその任についているのですから、誰か一人は自分達だけでなく、どこの室にでも年中いる訳です。

 点呼が終って自分達の自由な時間が来ると手紙をかく者なぞ温か過ぎてモメンの軍隊ジハンとやっぱり官給品のジャケッきりでひたいに汗をかいてかいています。
『こうして汗をかいて服までぬいで、手紙をかいているのに零下三十度の寒さです。なんてかくのは一寸変だナー』
召集の衛生兵◯一等兵殿が昨夜もそう言って皆を笑わせました。
極寒地と言ってもこんなことです。

私のことは心配なく。それよりお父さん達こそ体に気をつけて下さいネ。
今日 はこれでサヨナラ
忠勝
お父さんへ


満州からの手紙#10

 お母さん。
昨日で電話當番は終ったのです。
今日は三十一日 (土曜日) だけれど土曜日は日曜日の代日と定まっているので外出を許されまし た。

 給金は一ヶ月分の八円四十八銭を貰ったので金は多々有 (ターターユー) です。 ハ・・・・。 けれども三中隊の千波少尉殿に逢いたかったので何処へもゆかず千波少尉殿の処にいったのです。
自分達の出身中隊だけにとても懐しく思いました。あの近所のなんとか言う伍長の人が軍曹殿に成っておいでに成られまし た。
 
 千波少尉殿は自分を真実の弟のようにして戴きます。
そして将来の希望について、又、身の上やその他色々のことについてなにもかも話して戴きました。

 その中に一通の手紙をみせて貰ったのです。
手紙は少尉殿の親友の織田と言う人から自分の妹を嫁に貰ってくれないか、といった意味の文面でした。(最初の手紙)
しかし二通目はその妹さんからの手紙で千波少尉殿がこころよく快ダクされないから他家へとつぎますといった文面でした。

 少尉殿はその女の人をきらってはおいでにならなかったのだけれど、現在の境遇でその人と生きて結婚出来るかどうか・・・・・・
その人の幸福を考えられて自分を犠牲にされたのです。
「寂しいでしょう。」 僕がそう言うと、なんにも言わないで 「ニッコリ」 笑っておいでに成りました。 覚悟の程がしのばれます。

 それからその人 (織田と言う人) の友達が林と言う人で、即、松公がいつも心の中で良人ときめていると言っていた人ですが、この人から松公に結婚を申込云々のことがかいてありました。
それを兄貴 (松公の)の千波少尉殿に一応相談して来たのです。

 お母さんも知っておいでの通り、松公はあれが女学校を終って以来僕の家に来て、僕とは兄妹同様の三、四年を送っている現在の様子でしょう。
ハッ!!と思って淋しい気持が体全体を走りました。
けれど僕と松公とは結婚出来ません。
女のことを思って恋したり、考えたりすることはこの場合充分慎むべきです。

 それで松公の結婚が決定したら、松公に例の赤いすずり箱を必ず必ず忘れず買って、僕からと言って送ってやって下さい。そして僕の沢山の妹の中で松公は最も恋人らしい感じの深い妹でした。
そういった松公とまったく別れてゆくと思えばとてもとても淋しい気持です。
とにかくお母さんも松公の幸福をいのってやって下さい。
皆には何も言わないようにして下さい。
松公が又恥ずかしく考えたり、迷惑したりしてはいけませんから。

 私はランプの光のとどかぬ処でこの手紙をかいているので字がていねいにかけぬのです。悪しからず判読して下さい。

忠勝 
お母さんへ





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