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とことん自分を受け止めてみる

素の自分で自分のど真ん中を生きてみたいと思った。

それは私にとって、とにかくそのままの自分が主人公で、自分を何より優先して大切にして愛でて生きるということから始まった。
あくまでも私の人生の中での話で、他の誰かの人生の主人公になるわけではない。

そういう生き方にシフトしながら、その時々で感じる気持ちや出てくる考え、気づいたこと、見えたこと。たくさんある。
それらが一緒になって混ざり合い、私の中はマーブル模様のような状態だ。
マーブル模様がいつもぐるぐると回りながら動いている感じがする。
混沌としている。前向きな混沌だよ。

そんな中、少し前から感じるのは、自分への信頼感。それが〝ある〟という感覚。
「私は私のこと信頼している」と思うのではなく、〝ある〟という感覚なのだが、自分の内側に感じる質感が以前とは違う。

私が私を信頼し始めている。

今までそうではなかったの? というと、そうではなかった。
本当に自分に自信のない人間だった。
そして、外の人、周りのことを優先して考えて行動して、自分の心、気持ち、内側は置き去りというよりも無視をしてきた。
自信がなく、自分のことを信頼していないのだから不安だし、行動することで、目に見えるもので、確かさや安心を得たかったのだろうなと思う。

それが自分の内側の声を聞くようにして、その声を優先するようになって、ようやく私は私からの信頼を取り戻しつつあるらしい。
本物はそこにしかなかった。

まず自分とつながり、
必要ならば、
その自分とつながった自分で他とつながる。
つながった自分で、周りのことを考える。
その順番が大事なんだ。

自分の中に平和を抱いていたら、それでほぼ全て完了ではないだろうか。
自身の内側が 平和という状態の時、何からも自分を守る必要はなく、結果何とも誰とも戦う必要がなくなる。
恐れや不安から考え、行動することもない。
心が揺れた時は、自分の内側の何かが安心するまでその声を聞き続けるだけだ。

そんな風な一人ひとりが外に出て、他とのつながりが出来たとしたら、その社会は調和で循環するのではないかなぁと思っている。

『平和は私から』というのが私の座右の銘でもあるのだけれど、自分の中に平和をってどうすればいいのか? 頭では理解できていても、体感として腑に落とせていない時期があった。

それが、自分の本音の声を聞いてそれで生きようと決め、そうやってきたら、私自身が安心して、歓んで、強くもなってきた。
そして、自分とのつながりを取り戻した時、私のもともとの状態は、平和そのものなのだと理解できた。

ただ、時々その周りを飛び交う別のものが現れて、そこに意識を奪わた時に〝平和〟から遠のいた気がするのだ。

素の、そのままの、純な自分で自分のど真ん中を生きる
これからもずっとこれでいく。
ど真ん中を生きることを極めてみたくなっている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように。









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