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親の微妙な感情

先程、スーツにネクタイという正装姿の息子が出かけていった。
そう。今日は自治体の成人の日のつどい。
なんとあの息子が成人。もう20歳になったのだ。
本当、手がかかる人だった。今もまあまあだけども。
友人が車で迎えにきてくれて、それに乗り合わせて行くようだったけれど、そこも「そんな年になったのだなー」と感慨深い。
少し前までは、いつもみんなで自転車だったのにね。

3年前、長女が成人式を迎えた時、私はとてもホッとしたのを覚えている。
親の役目を一つ終えたような、そんな気持ちだった。清々しい気分だった。
こんな風に感じるんだ、と自分でも意外だった。
長女はまだ学生だったし、すっかり〝手が離れた〟というわけでもなかったけれど、そうだったんだよね。
私達両親がいなくても、ああ、きっともう生きていけるな、ではないけれど、長女にそういう逞しさを感じたのかもしれない。
そのベースになる、20歳になった長女の人間性や人柄みたいな部分を信頼できた。
それがあれば大丈夫。親の役目の大きな部分は終ったね。
あとは本人次第。全部自由だよ。
あなたは父母の家庭を卒業でーす、という感じだった。今もまだ家にいるけれど。

それで今年は息子なのだが、今のところ長女の時に感じたようなものがない。
出かける息子にいつもと同じの「いってらっしゃーい」を伝えた。
なぜだ? 振袖をきていないからか? バイトでスーツを着ることがあるから珍しくないのか? 
なんだか私自身、今一つピンときていないのかもしれない。

でもやっぱり子供の成長は嬉しい。
こんなに大きくなったんだなと、幼い頃の息子の姿を思い出しながら温かい気持ちになる。

子供も親も確実に前進していると思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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