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母との関係(1)〜出来事は何かを伝えてくる〜

11月4日に父の十三回忌をした。
法要後、私は母のところに2泊して、母からの頼まれごとを片付けながら過ごしていた。
その時のある出来事をきっかけに、私の中でゆっくりと気づきや変化が起こり続けている。
この流れはまだ続いていきそうなので、ちょっと書いておこうと思う。

出来事の詳細は割愛するとして、私は母が私に向かって発した言葉で、母に対して本当に愛想がつきそうになった。そういうことを言うのか。
私の中に虚しさが広がっていった。
そして「もういいかな」という言葉が出てきた(口には出していない)。
「この人との関係、もういいか」
とてもガッカリした気持ちになり、母を遠く感じた。

以前から母は私に対してすごく強気である。そして私が辛辣だなと感じる言葉を時々私に言う。そんな母を密かに失言女王と呼んでいるが、色々な意味で私に対して遠慮がないのだろうなと思う。遠慮がないのと配慮がないのは違うけど。

それで、失言はしても殆ど感情的にはならない母が、その時は珍しく感情を露わにした。
私とのやり取りを引き金に亡き父に対して。
「同じお墓に入れないで!」とまで言っていて、そこまで嫌だったのか? と思ったくらいだ。

そんなことがあり、帰宅してからも、一連の出来事や母の言った言葉を思い出しながら、私は母に対する自分の感情がますますわからなくなっていた。

その時にふと思ったのは、もしかしたら、母は私との会話中、私を通して父を見ているのではないか?  ということだった。
もっと言うと、私とのやり取りの最中のあるタイミングで、母の中の父に対する何か(感情や考え)のスイッチが入るのではないか?
そして私とのやり取りに、母の中の父への感情が重なって来るのではないか?
その瞬間、父に向かうはずのものが、私に向かってくるのではないか?
母は父への怒りや悲しみや、消化されていない色々なものを一緒に抱えて、そのまま私にぶつかってくるのではないか? 

母と私がケンカのようになる時、母は決まって「あなたはお父さんにそっくり」と捨て台詞のように言うのだ。

「あなたは私とは正反対。お父さんにそっくり」

あぁと気づいた。

母は、私に自分とは違う面を見た時に
「私とは違う」と思い、
それがそのまま変換されて
「お父さんにそっくり」
となっている。

「私(母)とは違う」=「お父さんに似ている」=「お父さんそっくり」

この時に母の中にある父に対する怒りなのか嫌悪感なのか、何かが刺激されるのではないだろうかと思った。そして、私のことを「だから嫌い」みたいに繋がるのかもしれない。私の推測だけれど。

私と母は合わないとずっと感じてきた。純粋に母娘の関係性でも難しい。でも母の方は場合によってそこに父との関係、父へのよくない感情も無意識に絡まるのだ。多分きっと。
だから発する言葉で私との関係を余計にややこしくしているのだ。
「お母さんも拗らせているな」そう思った。

私にとっては、私と母の二者の関係でも、
母にとってはそうではなく、
〝母対父〟対〝私〟
になることがあるのではないか。

母は私を通して亡き夫(私の父)とも戦っている。
これはもう私の手に負えるものではない。

母にとって、娘である私との関係での何かが、母の中の父への感情を刺激しそれを呼び起こすことがあるのかもしれない。
私を見ると父の面影がちらつくことがあるのかもしれない。
父の本体が無くなってしまった今は尚更、母は私に父の影を投影している。
父への感情をぶつけられてそう感じた。

この気づきは目から鱗だった。

どうして今まで気づかなかったのか? と思うくらい腑に落ちた。え? と驚いたけれど、あぁそうか、と腑に落ちた。そしてゾッとした。
夫婦間の怨念の矛先を私に向けられてもな。

ややこしいと思う。
母は私に物言いながら、父とも戦っているのだな。
私を責めながら父を責めているのだな。
だから母は絶対に悪くなくて、悪いのは私の方なのだ。負けたくないのだ。
母の中では父と私は同じだから。
〝父にそっくりな〟私に何かを言われると、場合によっては必要以上に気に障るのかもしれない。
そう考えると、母の態度や言動にも妙に納得がいく。
でも私は父ではない。あの人の夫ではない。

夫婦で共に老いながら死に近づいて行く時に、もしかしたら少しずつでも許せたり、癒やされたりすることもあるのかもしれないけれど、何せ父はそういう十分な時間を母と過ごすことなく、突然亡くなってしまった。
突然過ぎて私の中にも置き去りにされた父への思いがあるのだから、母は尚更ではないかと思う。
でも、母の中の未消化の出来事を、私にはどうすることもできない。

若い時から理性的で冷静な母だったけれど、決して感情が揺れなかったわけではなく、抑えたり我慢をしてきたのだろうと今は思う。理性で抑えた感情は、そのエネルギーが大きかったり、また未消化なほどその人の中で燻り、静かに溜まり続けていく。
だからきっかけがあると、それがムクムクと起き上がってくるのだ。
父が亡くなった今も、母の中の行き場のない思いや感情が叫んでいるのかもしれない。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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