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母との関係から見えてくる自分

最近、母との関係から起こる、自分の中のざわめきに向き合わざるを得ない状況になっていた。
最近と言っても始まりは2年くらい前で、いくつかの出来事を通して、私の中で母に対するアレコレが徐々に、少しずつ浮き彫りになってきたのだ。

これまでは、その時々になんとかやり過ごしてきたことが最早そうはいかなくなり、「イヤなものはイヤだ。一方的な母が私はイヤなんだ」と、内側で猛烈に母に抵抗する部分が出てきて譲らなくなった。

母との〝母娘関係〟と向き合い、いや、正確には母との出来事を通して、そこから発生する私自身の感情や考えと向き合い、その一つひとつをできるだけ丁寧に扱い、私なりに紐解くことで気づいたことがある。

その一つが、私は母との関わりの中では、〝自分を守らなければならない〟と思っているということだ。自分を守る為に、無意識にまず心の準備をして、それから母と関わっている。
 気兼ねなく接しているようで、何か気を使っているような、リラックスしていないのには理由があった。

油断とスキを見せない。
弱さは出してはいけない。
悩みやグチは漏らさない。
全方位で守りを固める。
そして可能な限り、相手を攻撃をしてはいけない。
母を傷つけてはいけない。

こうして書いてみると、どこの合戦に行くのかと言う感じで自分でも驚く。
私はいつも構えていたということだ。

なぜそこまで守りを固める必要があるのか。
それは私自身が母の言葉に傷つかない為にだ。
母は私の言ったことに対し、大抵意見や否定から入る。母の何がそこまで私に意見や否定をしたいのか? と思うが、本人に悪気はなく、どうも自動的に無意識にしているので永遠に変わらない。

そんなわけで、母に、否定、意見、ジャッジ、(私は求めていない)助言などをする余地を与えない為に、私は母との会話で発する言葉、話題をとことん選び、当たり障りのない会話を心がけている。
これは私自身が傷つきたくないのと、あと出来るなら母とケンカをしたくないから。
でもまあ、実際はぶつかることも少なくなかった。

もう一つは、母は私に対して「こうして欲しい。こうなって欲しい」ということがあり、それは「こうするべきだ」のレベルで、母にとって揺るぎのない正解であるらしい。
たとえ私が「私には必要ない」と言っても、主張を譲らないので辟易する。

これはあくまでも私の考察だけれど、母には「娘は親の考えに従うもの」とか「親は娘に対してその権限がある」のような考えがあり、それはもはや観念となっているのではないか? とさえ思う。(これが息子(私の弟)に対しては全く違う)

今まで母から聞いてきた話から、母と母の姉妹達も、そうやって育ったことは知っている。
そう思うと、母は母で、自分の知っているやり方、インプットされているやり方で、私に接してきただけなのかもしれない。
血縁の連鎖、鎖状態なのだろうか。
しかし、時代も家族構成も環境も全く違うので、それは機能しないと思うし、私は苦しい。

母にとって娘(私)は、便利でもあり、頼りにもなり、遠慮のない、気兼ねのない、そして自分に従属しているはずの存在なのではないか。

私にとって母が大切であることは事実だ。
だから、便利であるのもいいし、どんどん頼りにしてくれていい。でも従属はしていない。
遠慮もいらないが、人対人としての配慮は欲しい。そして、私の存在や私の意思への尊重もお願いしたい。
母との関係と、自分自身を掘り起こしていくうちに、ここに辿り着いた。

「母に対して身構える私」
「娘は親に従うものと考えている母」

こういった関係であることは気づいていた。
でも、違和感を感じながらも当たり前になり過ぎていて、私自身が居心地の悪さを〝親子喧嘩〟や〝相性の問題〟と捉えていた。

私と母は全くタイプの違う人間だ。
しかも、根本でウマが合わないというか、気が合わないというか。
まぁ、親子だからといって皆が皆、自動的に関係良好なわけでもないだろう。
ただ、意思と配慮を持って関係を築くことはできると思う。
そういう意味では、母は私と〝意識をして〟関係を構築しようとは思っていないのだろうな。
娘と〝意思を持って関係を構築する〟なんて、母にはピンとこないと思う。

母は今後も変わらないだろう。
私も変えようなどとは考えていない。
ただ、この先どうやって母と付き合っていくか、どういう方法がお互いにとって安全か、平和か。安全な〝境界線〟、私自身にできる落としどころをさぐっている。

人は変えられない、変えられるのは自分だけ。
なんて思っていても、自分が変われば目にするものも変わるはず。
そんな考えを手放せなかった私がいた。

私の中のものが溶ければ、私の中の何かが癒しを受ければ、目の前のものも変わるかもしれない。そんな期待を持っていた。

 しかしもう、私が変わることで母との関係に影響を与えようなどとは思わないことにしよう。

私にはそんな驕りがあったんだな。

私は母と関わって、私の中に起こることを感じ、大切にすればいい。それしか出来ない。
母は母が選んだもので生きるだろう。
それでいい。
それは母の人生で母のものだ。
私のものが私のものであるように。

母との関係は難しいなぁと思っても、私にとって、母を避けて疎遠になるのはあり得ない。
それは私自身も嫌だし、多分それには後ろめたさもあるのだ。
(と言いつつ、昨年は、もう無理と心底思い、足が遠のいた)

今までの私は、母との間で起こったことを、母と話したり、時間をおくことで解決しようとしてきた。

これからは、母との関係の中で傷つくことがあっても、腹がたっても、疲れても、自分の中で起こることを一番にケアし、大切にし、放っておかない。後回しにしない。そう決めた。
私を一番に大切にし、最優先し、そしてそれから母のことも大切にする。

今まで無視してきた分も含めて全部、感じて認めて受け入れて、大切にするから安心して欲しい、と自分に伝えたい。

それが母との良好な関係を保つ方法でもあると、今は思っている。

「何が最善か」
「何をする必要があるのか」
ではなくて、

まず、
「〝いま〟私が感じていること」
を感じていく。どんな自分も無視しない。

母にちゃんと聞いて欲しい、わかって欲しいと思っていた私は、本当は私自身に聞いて欲しかったのかもしれない。


お読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように。

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