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No.11 両親の体のこと。私の役割

こんにちは。
ライフストーリーを書いています。

前回の記事はこちらです。


約2年、家業を手伝ったあと、再就職で都内にオフィスのある外資系企業に就職をしました。

その後暫くすると、なんだか体がスッキリしないと感じる事が多くなり、慢性的な体調不良に。
それがきっかけで『体を内側からケアする』ということに目覚め、都度の食事、食べて体に入れるものを意識するようになりました。
おかげて体は絶好調。いくつかあった悩みもあっという間に解決しました。

体は快調、仕事も楽しい。再就職をして色々なことが順調でした。

そんなある週末の昼食時、父がごはんを盛った茶碗を、テーブルに置いたままで食事をしていることに気づき、「ん? おかしいな」と感じました。
父にしてはそれはあり得なくて、とても違和感がありました。

「お父さん、お茶碗置いたままでめずらしいね」と聞くと
「うん、今日はなんだか茶碗が重い」
と言う父の答えに
「そうなんだ」
と言いながら不思議な気持ちでした。

それが最初でした。

実家は畳の生活で、次は、父は座っていて立ち上がる時に、よっこらしょとテーブルに両手をついて体を支え、疲れた疲れたと言う。
そして歩くペースが遅くなり、階段をのぼることが少しずつ大変になり、寝ていて起き上がることさえ難しくなりました。
父の状態がどんどん悪くなる。本当に突然であっという間でした。

いくつもの病院をたずねましたが、受ける検査はどこでも同じで、でも原因が全くわからない。
そして異常なし。
筋力が衰えていることはわかるけれど、その原因が不明なままでした。
医師達も首を傾けていました。

検査結果の数値を見て
「どこも悪くないですよ」
と言われる度に
「どこも悪くないようには見えないのに」
と戸惑いますが、それを言葉にしてみたところで、医者にはどうにも出来ないのだなぁとわかるので、そうですか、と言うしかない無念さ。

そうは言っても、家族としてそばで見てきて、絶対にどこかに原因があることには確信がある。それが何なのか。どこなのか。どうすればわかるのか。わからない。きっかけがわからない。

一年近くそんな状態が続きました。
入院もしたし、温泉療養にも行ったり、針治療も受け、しかしどれも効果がない。

不思議。不思議過ぎる。なんだろう。何が起こっているんだろう。
絶対に見つける。原因はある。

この時は父は仕事はできず、それどころか日常生活もままならない。
食欲がなく、食べたいものや食べられるものが限られ、とても食事療法どころではない。

二人で大学病院に行った時に、私が診療の受付に行き、動くことが困難な父には車で待っていてもらったことがありました。

暫くして戻ると、座ったままで父が助手席から足元の方へ落ちそうになっていて、でも自力で態勢を立て直すことが出来ずに苦しそうにしている姿を見て慌てました。

「お父さん。どうしてこんなことに……」
胸が締めつけられました。

絶対に治す。改めて決意をし直しました。

気持ちが続いている限りは終わりではない。

気持ちが続いているのならば未だ道の途中なだけ。

まだ原因がわかっていないだけ。

諦めなければ解決する。

本当に小さなきっかけの不思議なご縁から、縁が縁を呼び、ある総合病院を受診することになった父。

父を診察した医者が初診で

「これはうちじゃあないな。うちじゃあダメです。隣を紹介しますから、そちらを受診してください。」

と紹介状を書いてくださり、その足で隣接されていた別の病院に行きました。

父は直ぐに入院し、どのような検査をしたのか、どのような診察があったのか、その時の話は殆ど聞いていませんが、暫くして外泊許可がおりて、一時帰宅が出来ることになりました。

私が会社帰りに病院へ迎えに行き、1時間半の距離を二人で帰った時、自力で歩き電車にも乗れるほどに回復していたのには驚きました。

一時帰宅した父は、突然仕事にも復帰。
そんなにも元気になったのかと、とても嬉しかった。
何を急いでいたのか、家の階段を駆け上がって来る父の足音を聞いた時には、驚きのあまり母と顔を見合わせたことを覚えています。

諦めなくて良かった。絶対に治ると信じ続けて良かった。

その後も、入院と一時帰宅を繰り返しながら、父が完全に社会復帰をするまでにそれほど時間はかかりませんでした。

二十代後半の若い主治医は、ある日、父の病室に来た時に、いつも通りに
「調子はどうですか?」
とたずね、

父が
「先生、なんだか今日は調子がいいんだよ」
と答えると

「やった!!!」
と両手を挙げてガッツポーズをしたそうです。

その主治医の推測が当たり、試した薬が効いたのです。

「ガッツポーズだよ笑。若いなぁ」
私にそう話す父の顔は嬉しそうでした。

感謝の気持ちでいっぱいでした。

当時は平成で、父の病気は昭和に入ってからの症例が数件しかなく、とても珍しいものだったそうです。
おそらく診断がつかないことの方が多かったのではないかと推測しています。

父は幸運でした。強運の人でした。

そして、父が病気だった時、かなりの長期間、母は一人で家業を回すことになり、その間たくさんの方々に助けていただき、我が家は困難期を乗り越えることができました。

でも、この時期に相当無理をした母が、数年して病気になってしまいました。

この時も、私は父の時と同じ気持ちで信じていました。

でも、とても心配だった。
心配しつつも、私は私に出来ることをやろう。
それだけでした。

手術、退院後、母は私が実践していたものよりも、更に厳しい特殊な食事療法を自ら実践し、それを3年続け、結構なシリアスな病状だったにも関わらず、その後25年元気です。

私自身の経験もあり、母の様子も見ていて、やはり食事の内容はかなり大切だと感じます。

そして思うのですが、両親に何かあった時、私はサポートをする役目にいるのではないだろうか。

これはただ自分の親を助けると言うことだけではなくて、両親を通して代々のご先祖様をご供養するような、そんな気がするのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように!

Love & Peace,

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