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究極の幸福とはこういうもの

今日は在宅勤務。自宅で仕事する日。労働が苦痛な私でも、対面で組織の人間と顔を合わせなければ、心理的負担も軽減される。そんな少しだけお休み気分の日。

妻は朝から習い事に行く。今日はちょっとした試験があるようで、朝からそのチェックをしていた。お茶を飲みながら最終点検をする妻を眺めながら私は会社ではなく自分の仕事を進める。会社の仕事もちょっとは横から邪魔してくるが、ササっと片付けて自分の副業へ。

昼休憩時間に近所のスーパーへ。昼時なので混雑している。男性が日中に昼を歩いていても何も言われない現代の東京やリモートワーク社会。最高の居心地だ。

レジに並んでいると、定員さんと世間話するお客さんが。私の後ろにいるお客さんが「もう!さっさと行ってよ~ねぇ。」と私に愚痴を零してきてちょっとお互い笑う。

確かに、前の人は1分くらいロスしていた。私は特にそのタイムロスが気にならなかったし、むしろこんなのんびりした買い物風景を楽しく眺めて癒されていた。けれども、この後ろの人は、もしかしたら自分の家族や孫が具合が悪くて早く帰ってあげなきゃいけないのかもしれない。

人の感情なんてその人の背景が色々あって読めないものだと思う。だから、まあどう思ってもいいのかな。とか考えたり。そんなこんなで買い物が終わって帰路につく。

余裕がない人生を過ごしていると、目的以外を楽しめなくなり、あっという間に人生が終わる。過程を楽しむようになると、目的はどうでもよくなるし、瞬間瞬間が楽しくなる。時間の経過が速いとも、あまり思わなくなる。それだけ「たくさんの楽しいことがあったな」と思えるからだろうか。

冷蔵庫の残り物で昼のメニューを考える。外出するわけでも会社に行くわけでもないから、朝も食べず、コーヒーを飲んでおいて、お腹がすいたら食べればいいやと思っていると、昼の時間になっている。

時間がないと、食べておかなきゃと思ってしまうけど、そういう縛りがなければ、作り置きだってできるし、賞味期限も余裕をもって守れるし、自炊するからお金もたまる。

そして平凡な毎日が楽しいからお金を使ってストレス発散する必要もなくなる。だからお金がそこまでたくさん必要じゃなくなる。必要なお金が減るから、猛烈に働く必要がない。労働に時間をとられないから、余暇や妻との時間を十分にとれて夫婦関係が良くなる。

すべてが好循環でできている毎日。

みんな色々なことにとても怒っている。上手くいかないことや無駄を楽しめることで、すぐに変わるのにな…と横目で見ながら、雑踏を通り過ぎる。自分は幸せ者だと思うし、妻のおかげだなとも思う。ただ、自分は周りとは全然違うものを見て、全然違う感情を持っているんだなとも思う。だから、こういう幸せは自分の気持ちの中に、そっとしまっておく。人にわかってほしいという願望が減る。願望が減ると期待が減って失望が減る。それが穏やかな気持ちを作る。

すべてが好循環でできている毎日。

午後も楽しくなるだろうな。きっと。

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