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エッセイ 深く潜る才能

最近やたら「自己肯定感」とか「自己効力感」とか「自分を大事にしよう」というワードを色んなメディアでみるのですが、ボクはハッキリ言うと嫌いだ。
それぐらいボクが陰キャと言えばそうなのだけど、理由があるのです。

まず今までの人生で自分大好き!自分って最高!ハッピー感謝感謝!うぇーいうぇーい!パリピさいこぉーぅ!!
みたいな人を色々見てきたけど七八割方「いい人」ではなかった。
平気で他人を傷つけるし、モラルもデリカシーも無いし、自分を鑑みない、何があっても他人が悪いと開き直る人ばかりでした。
そもそもそういう人はバイタリティはあっても、所謂典型的自己中というタイプでした。

自尊心や自己肯定感というのはある種の麻薬なのかもしれないです。

・自己肯定感が低いというのは自分を研鑽する最大のエンジンなのかもしれない

ボクのような凡才が書くのもおこがましいですけど例えば野球のイチローさん
インタビューやスピーチなどを見ていると自分にひたすらストイックな性格が見て取れます。
きっとあれだけ凄い返球を投げれて打球を飛ばしても「まだ自分の限界には行っていない、まだ先に何かある」と、自己を否定していたのだろうと思います。

自己肯定感が低いのは、それだけ強力な反発エネルギーを生み出す武器になる。とでも解釈しましょうか。

そもそも人間は「足りない」と思うから努力します。
あ、そこ。
「努力とかうっせーなクソが」って思いましたね?

確かに努力や研鑽は報われる保証はないです。
むしろ100発撃ったら3発ぐらい当たったらいい方でしょう。
宝くじ買った方が当たるかもしれません。
ボクが言いたいのは

自分を鑑みる

ということです。
冷静かつゆっくりと内省する。考える。変えていく。
これこそ自己肯定感の低い人の最大の長所だと思います。

・そもそもとして良い自己肯定感の低さと、悪い自己肯定感の低さがある

良い自己肯定感の低さとは自分を鑑みる能力。
悪い自己肯定感の低さとはどうせ自分なんてと卑屈になる能力。

自分を鑑みる能力はよく言えば現代人が忘れがちな「殊勝な心がけ」「これはこのままで良いのか」「これは間違っているのではないか」と内省することに繋がります。
そういうことを忘れると自分のことだけしか考えない勝手な人間になりますしそういう人は増えていると実際に思います。
ボクは「自己中によるアドラー心理学の曲解現象」とでも名付けます(今思いついた)。

では悪い自己肯定感の低さ。
これは極端なところまで突き詰めて言うと

自分は生きていていいのだろうか?

というところにまで行きます。
自分は幸せになる価値はない。
自分は誰かに愛される資格はない。
自分は生きている値打ちもない。

これはボクも大概心当たりがあり、ずっとそう思っていると服にシワが付くように心にシワが付き考えや行動全てがそれに支配されていきます。

それはそれで問題で自分の価値基準が全て他人軸になり、危ういです。

なのでこう言います。

自己肯定感が低い人は、それだけで冷静に物事を考えて他人を慮る能力がある賢い人である

と。
勝手な人ばかりな世の中ですからこういう人がいないと困りますよね。
多分そうなったら極論ですが核ミサイルのドンパチ第三次世界大戦からの焼け野原で石を投げ合うブラックジョークみたいな結末で人間は滅びると思います。

・深く潜る能力

ここでタイトルにしました「深く潜る能力」は自己肯定感が低い人にしかない才能です。
なんの分野でもです。別に物理学でもいいし数学でも哲学でもスポーツでもアニメの知識でもライフハックでも。

深く潜る=真剣になること
でありそれはあらゆる全ての分野で世の中に必要な能力です。
あ、こう思いましたね?

「そんな真剣になれることなんかねンだわ」

そりゃそうですよ。
だって真剣になれることなんて人間片手で数えれるぐらいですから。
ボクだって真剣になれることなんか絵を描くこととゲームすることと魚釣りするぐらいです。あとは余暇です。余暇。
ペン回ししてるぐらいな感じです。
なんとなくやってるだけ。

なかったら探せばいいのです。
いくらでもお手元にあるスマホで気になることは調べられますからね。
そこで自分が真剣にできることを探せば大なり小なり必ず「ちょっとこれやりたいな…」ってことが出てくるはずです。(※犯罪はダメですよ)

あとはそれに深く潜るだけです。
それはあなたにしか出来ない、あなただけのほんとの力なのですから。

本当の意味の「自己肯定感」をしっかり忘れないように、自分への覚え書きとして書いておきます。
乱筆駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

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