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私が悪に堕ちた日

こんにちは。セトセイラです。

ネガティブな話をするのはとても神経を使う。人はネガティブな感情の方が共感性が高くて、書き手が意図したものよりもずっともっと何倍増しで伝わってしまうから。

しかし、自分の人生の記憶をコンテンツにしようと思った時、ネガティブな話は避けられない。なぜなら、私はネガティブな経験に大きく感謝をしているから。

ポジティブな経験より、ネガティブな経験の方が人間に奥行きをつけると思うんだ。

だから私は、コンプレクッスがある人を見ると美しいと思ってしまう。

コンプレクッスに立ち向かうエネルギーは、人生のバネになるし、とても強い命の音が聞こえるんだ。

そんな中で、『人が悪に堕ちるのは簡単』という話を私の経験を交えてご紹介したいと思う。

私の禍々しい記憶。

人間はとても弱い生き物だという話を。



世の中に規則やルールがあふれている理由

世の中はたくさんの規則やルールであふれている。

なぜ規則やルールがこんなきも溢れているのかということについて疑問に思ったことはあるだろうか。

その答えは、人は規則で縛らなければ簡単に道を逸れるからというのに尽きる。じゃなければ、あえて規則やルールなんて作る必要などない。匿名性のSNSで、日常的に悪口が飛び交うのが何よりの証拠だ。誰がルールを破ったのかというのが明確でない状況では、人は案外簡単に魔がさす。

人はそれほどまでに弱い。

よく、そんな人を見て「匿名でしか悪態をつけないなんてかわいそうな人」なん言う人がいるが、本当にそれは他人ごとなのだろうか。私は自分のことをけして信用してはいない。自分だけが例外、特別、そんなわけないじゃない。自分だって、そっち側の人間になる可能性は充分にあるだろう。その可能性を考えない方が私は怖さを感じる。

しかし、そんなことよりも、大事なのは自分がどういう条件を満たしたら道を外す可能性があるのかを把握して回避することの方が大事だ。

私は、悪に堕ちたくないから。

なんなら、仙人でいたいって思うから。

自分で強く意識していなければ、気付いたら違う方向にいたなんて普通の話だと思う。


いじめをする人間は必ずしも悪人とは限らない

とても分かりやすい例え話をするならば、いじめっ子といじめられっ子の話ではないだろうか。

いじめられた経験のある人は、いじめっ子の事を悪だと言う人は多いだろう。

しかし、果たして本当にそうだろうか?

私自身、小中高といじめにあってきた人間だ。どうやら、私はうまく人の輪に入っていけないらしい。私の中では、みんなと同じように存在しているつもりでも、気付くとだいたい攻撃の対象として選ばれてしまう。

いじめられていた当時、私は世の中のことを心の底から恨んでいた。誰のことも好きになれなかったし、暴言を吐けば心の底からに殺してやりたいとすら思っていた。

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