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【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び

こんにちは、ショウヘイです。
僕は4月に教員からベンチャーの個別指導塾へ転職をします。教員としては大学卒業から7年勤務しました。

🔽前回の記事はたくさんの人に読んでいただいて大変嬉しく思います。ありがとうございます!


今回は僕が11月〜2月の4ヶ月間の転職活動の中で、自分と向き合い、気づいたことや学んだことをまとめました。
転職を考えてる方(教員だけでなく)にとって少しでも参考になれば幸いです。



✏️【はじめに】教員になる前の僕について

✔️教員になる気なんて1ミリもなかった

僕は元々教員志望の学生ではなく、大学時代は地元愛知県内の大学の国際系の学部で、なんとなく教職課程を取っていた学生でした。

アルバイトで障がいのある子どもの支援を経験したことをきっかけに、「障害者支援の仕事に就きたい!」とこれまでやっていた就活を放り投げ、特別支援学校の教員になることを決めました。大学卒業後は特別支援学校の教員免許を取るために1年間教育大に通いました。

✔️元々はメディア関係に進みたかった

就職活動も全くしていなかったわけではなく、新聞・テレビ・ラジオ局で働くことになんとなく憧れがあったので、そういった会社の説明会には参加していました。また大学1年の頃にはラジオDJを目指して、アナウンススクールにも通っていました。名古屋のFM局のDJオーディションにも応募したことがあります。(1次で落選)
ですが「本当にやりたかったことなのか?」は正直疑問でした。

✔️地元を離れることで自分を変えられるチャンスだと思った

勉強もスポーツも中途半端だった僕には、たいして誇れるような経歴がありません。高校時代には赤点を連発していました。大学も実家から通って、日々なんとなくダラダラ過ごしていました。他県から来て一人暮らしをしている友達を立派だなと思っていました。

自分を変えたいという思いをずっと持っていました。そんな時、バイト先の社長さんが経営コンサルタントの大前研一さんの有名な言葉を教えてくれました。

「人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。」

大前研一『時間とムダの科学』

この言葉は今でも自分の行動指針になっています。

教員になるためには都道府県ごとの教員採用試験という試験を受ける必要があります。地元愛知を離れて、自分を変えられるチャンスだと思いました。採用試験合格のために大学の図書館にこもり勉強しました。(人生で一番勉強した。)

そして第一志望だった京都市の採用試験に合格。僕の教員としての人生がスタートしました。


🔽ここから本題「転職活動を経験して気づいたこと、学んだこと」です。


🔹⒈「教育」が自分の最大の興味関心という気づき

✔️自分が何が好きなのかが分かっていなかった学生時代。

学生時代、テレビやラジオ局で働きたいというなんとなくの憧れはあったものの、その理由を聞かれたとき答えに困っていました。しっかりと言語化できていませんでした。今回転職活動を通して自分の興味関心について深く掘り下げていくと、やっぱり僕は「教育」というジャンルに興味があるんだなと分かりました。

✔️転職活動を通してより解像度を高く「教育」を見つめ直した。

「教育」といっても本当に幅広いです。学校、塾、スポーツスクール…。そしてどの年代の人を相手にするのか。自分の興味関心、価値観、本当にやりたいことに向き合った結果、どんな教育がしたいのかを考え直すことができました。


🔹⒉僕がやりたかったことは学校教育ではなかったという気づき

✔️修学旅行、校外学習、文化祭、体育祭…これが本当にやりたいことか?

・修学旅行
・校外学習
・文化祭
・体育祭
・合唱コンクール
・生徒会活動
・部活動
・講義型の授業

上に書いたのは、僕が教員として勤務する中で全く興味が持てなかったことです。これらは学校教育の50%を占めるといっても過言ではないです。
自己理解を進める中で分かってきましたが、ほとんどやりたいことじゃなかったんですね。
補足ですが、僕は特別支援学校で担任を4年間、一般の中学校で通級指導を3年間(1対1の個別指導をする役職)経験しました。

✔️僕が本当に好きだった仕事内容。

・生徒と1対1での対話、カウンセリング
・保護者面談
・研究、研修(受けるのも、主催するのも)
・不登校支援
・発達障がいの支援
・キャリア教育
・ディベート
・スピーチ
・金融教育

これらが僕の「教育」というジャンルをさらに深く見つめた結果分かった「僕が本当に好きだった仕事内容」です。これらを踏まえてベンチャーの個別指導の塾という選択をしました。


🔹⒊特別支援学校の教員として20代を生きられて良かった

✔️特別支援学校の教員は体力仕事。

知的障害のある子どもの通う特別支援学校で働くということは、かなり体力を使う仕事でした。たくさん歩いて走りました。1日7,000〜10,000歩くらい歩く日がほとんどでした。大変でしたが、特別支援学校の教員は絶対になくてはならない仕事=エッセンシャルワークだなと感じていました。

✔️教員として歩んだキャリアに誇りを持てるようになった。

一番体が動く20代に、このような仕事に人生を費やせて良かったなと思います。自分のやりたいことがよく分からず、自信の持てる経歴もなかった学生時代でしたが、教員として過ごした20代のキャリアに今とても誇りを持てています。これは転職活動を経験し、自己理解を深めたからこそ得たものです。


🔹⒋これからの人生にワクワクするようになった

✔️生涯一つの仕事という生き方は自分には向いていない。

「飽き性」という自分の性格も大きく関係すると思いますが、僕は多分長年一つのことに情熱を燃やし続けることが苦手なんだと思います。大学卒業から定年まで教員として働き続ける人ってかなり多いのですがすごいなって思います。
「転職をしながら自分にしかないキャリアを作っていく」そんな生き方の方が、多分僕には向いていると思いました。

✔️自分の人生にワクワクするようになった!

今まで公務員として税金で給料をもらっていた身からすると、会社員という働き方がとても楽しみです。30歳、はじめてのビジネスの世界への挑戦です。

そして、転職先は週3勤務、副業可の企業です。副業の部分はまだ色々未定な部分がありますが、noteでの発信により注力したいというのは決めています。

春から基本給は教員時代の半分以下になります。正直不安です。でも、こんなに胸が高鳴る経験はいつぶりでしょうか…!ずっと教員を続けていたらきっとこんなに自分の人生にワクワクしていなかったと思います。


🔹⒌妻への感謝

✔️妻がいなかったらこの決断はできなかった。

妻が「人生一度きり。後悔しないように。」と、自分の決断を後押ししてくれたのは本当に心の支えになりました。
自分のやりたいことや強みを見つけていく中でも、妻が親身になって対話の相手をしてくれました。今回の転職に踏み切れたのは、妻の存在があったからです。感謝しかないです。この先、少しでも妻を安心させられるように頑張らないといけないです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

書いた人:セトショウヘイ/Shohei Seto【X
1993年愛知県生まれ。大学卒業後、京都市へ移住。2023年から地元愛知で暮らしています。シンプルな暮らしと心のあり方、家計管理、ミニマリズムについて発信しています。

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