「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や…

「現代サーカスの覗き穴」by 瀬戸内サーカスファクトリー田中未知子

瀬戸内から世界へ現代サーカスを発信!日本における現代サーカスのパイオニアとして、創作や公演実施、拠点運営、イベント企画運営など幅広く行う瀬戸内サーカスファクトリー。どんどん湧き出す独自の企画アイディアや、現代サーカスお役立ち情報など、田中未知子の現代サーカス脳を覗き見るページ。

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2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来②

【”コモンズ”としての瀬戸内サーカスファクトリー〜はじまりの話】 ”コモンズ”という語は、”共有地”などと訳される、近年注目される考え方です。誰もが参加でき、個人に所属しない、共有地、共有知です。 最近、瀬戸内サーカスファクトリーの活動コンセプトのひとつは”コモンズ”ではないかと思い始めました。 コモンズとは”公共性”とも言い換えられると思いますが、誰か個人や個別の団体に属さない、けれども、そこに関わる人には責任があります。 共有地をしっかりと守り、豊かにしていくことが求

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    • 2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す未来①

      はじめに 2023年はソーシャルサーカスや日本現代サーカスネットワーク始動など、私たち瀬戸内サーカスファクトリーにとって、大きなチャレンジがはじまった年でした。 同時に「ポスト・コロナ(コロナ後)元年」であることを、じわり、じわりと、重みをもって感じ始める年でもありました。 以前の世界には戻らない/戻れないのであること。 コロナ下で、緊急事態の名のもと、いろいろなものを救おうと、大量の助成金が発動され、あわあわしながらも、助成金のおかげで逆に受注案件が増えたり、”常時

      • サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑥)

        結局、解放されたかったのだと思う。 「彼らの背後で、世界は崩れ落ちた」 と、書いた。 サーカスアーティストたちに会って、彼らがサーカスを見せるより前に、目を見ただけで、世界は崩れ落ちてしまった。 射抜かれたのは、まっすぐで温かく、上からでも、下からでもない、私の目と、まったく同じ高さの目線だった。 どうして、人間は上だったり、下だったり、斜めだったり、 まっすぐに人を見られないのだろう? なにか、いつも、ある。その角度が、ズドン!と、同じ高さで、私を射抜いたー。 美

        • サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その⑤)

          正直、チュニジアの人たちが好きだった。 チュニジアの人たち(99%くらいはイスラム教)も、正確にいえばユダヤ教徒の友人と同じで、私を「自分たちとは違う」と見ていたはず。 でも、本当に好きだった。彼らが。 もちろん、人生でそれなりにちゃんと知り合ったチュニジア人は10人に満たなかったと思うけれど、まとっている空気感とか哲学的なものは、共通のものがあった。 いちばん覚えている瞬間は、大雨の、嵐のような天気のとき、友人宅で喉が渇いたので、「何か飲み物を買ってくるね!」とダッシュ

        2024年からの、瀬戸内サーカスファクトリーの事業と目指す…

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        • LA PISTE通信コラム
          2本
        • フランスと私
          7本
        • 徒然サーカス・エッセイ
          18本
        • サーカスと関係ない雑談
          2本
        • 映像とお話し会「千と一夜」ざっくり報告(無料)
          3本
        • 世界の現代サーカス創作についての私論
          2本

        記事

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          宗教ってなんだろう?(冷静に考える) 日本人は、家が代々どこかのお寺の檀家になっていて、形のうえでは「仏教徒」のひとが多いのではないかと思うが、実際、仏教とはなにか、かつ、自分の家の宗派の特徴をしっかり語れるひとは、とても少ないのではないか?と思う。 自分もその一人です。 ですが、24歳でフランスに留学して、移民としてのイスラム教徒のことを考え、美術史を学ぶうえでキリスト教を徐々に知ることになり、 かつ、個人的な理由で25歳でユダヤ教にも出会うことになり、相当に頭は混乱し

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その④)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          フランス、マグレブ、そしてサーカスへ。 フランス留学で「人種差別」について深く考えさせられ、…マグレブ諸国(北アフリカ、チュニジア、モロッコなどの国々)からの移民とはどういう人たちかを良く知らないまま、「人種差別を受けているけれど、アジア人のほうが、マグレブの人たちよりはまだ、ヨーロッパで受け入れられている」という、今から思えばわけのわからない「誰々よりはまし」という思考に冒されていた留学時代のあと、 「まてよ、おかしい…」 と、自分自身の思考を激しく疑問視し始める20歳代

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その③)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          「宗教ってなんだ?」に、行き着く。 アラブ イスラム マグレバン… 1990年代後半、フランスに留学した頃に盛んに耳にした単語は「マグレバン」。 北アフリカの、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなどの「マグレブ諸国」の人々のこと。 マグレバンという語とともに、アラブとイスラムという語も飛び交う。 アラブはアラビア語語圏の人々や文化、イスラムはイスラム教やイスラム教徒。 フランスの旧植民地であり、ゆえに、フランス語を公用語のひとつとし、フランスに移り住むマグレバンは非常に

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その②)

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          24歳ではじめて体験した差別。 生まれて初めての独り暮らしが、フランスの地方都市だった。 3年も準備して、ようやく手にした、フランスの大学の学生証。 期待より100万倍大きかった、不安。 たった一人で乗り込んだフランスの国立大学の学部は、あふれんばかりの学生で、キャンバスも建物も大きくて、インターネットの情報なんて無かった時代なので、とにかく情報が載っていそうな張り紙を探すのだけれど、一体、いつからどうやって入学の手続きをすれば良いのかすら、どこにも具体的な情報がみえない。

          サーカスの「平らな目線」が私を救った理由。(その①)

          いまつくりたい舞台2つ。

          いま、つくりたい舞台がある。 2つ、具体的にある。 1つは、形而上的作品。 つまり、現実世界にないもの。 現実を超えたセカイに旅できるもの。 もうひとつは、人間をテーマにしたもの。 作品をつくることに、箍はいらないし、 外して、外して、外れて、 うんと自由になりたい。 「不思議」って、どこからくるんだろう? 学生のときから大好きな、Georgio de Chiricoの夢をみる。 あの、面構えに、いつも呆れて、憧れる。 ダリは説明的すぎて、マグリットは完璧す

          ものを書きたい気持ちが…

          久しぶりに、ものを書きたい、と思う。 釧路にいたとき、人生最高に、ものを書きたかった。 道を歩いていても、車を運転していても、 湿原にいても、道ばたの錆びたアパートの手すりを見ていても、 書きたくてしかたなくて、 昼間の月をみていても、 からからした、厚みのないその感触を、どう表現したらよいか、考えるだけで、居てもたってもいられないくらい、 書きたかった。 なぜ、書きたくなるんだろう? 苦しい時に書きたくなるのかな。 満ち足りたときには、力がぬけていくみたいで、何も書

          なぜソーシャル・サーカスをやりたいと思ったか

          「社会と生きるサーカスなんです」 瀬戸内サーカスファクトリーは、ソーシャル・サーカスではないけれども、社会と生きるサーカスなのです、と、ずっと言い続けてきました。 地域に生きる芸能 根っこの部分には「人間、ひとりひとりの可能性を信じたい」という思いがあります。 瀬戸内に来る背中を押してくれたのは、地域芸能の人たちとの出会いでした。 プロのそれとは明らかに違う、温かみのある舞台。日常生活でも、歌舞伎の見栄をきったり、お囃子にそわそわしたり、幼いころから染み付いた「血肉として

          歴史とは、自分の居場所がわかる羅針盤だった。

          卒業して30年後に歴史学の意味を悟った、もと史学生。 なぜそこに入ったのか、理解できていなかった西洋史の学生で、大学院にまで進んだけど、穴蔵のような、黴の匂いがする書庫は、異世界だった。 美術史に興味があったのは事実だけど、歴史というより、美術そのものが好きだった。 90年代にフランスに留学して、大学に編入して、半ば精神を病みながらも、「人間の歴史は巨大な螺旋構造だ」と理解した。「学ぶ」ことの意味がすとんと肚に落ちたし、辛い生活も吹き飛ぶ、まさにヘレン・ケラーの奇跡の感覚だ

          歴史とは、自分の居場所がわかる羅針盤だった。

          東京ミッドタウン公演を終えて

          写真:Kazushige Yamamoto 先般、3月25日に、瀬戸内サーカスファクトリーにとって初めての東京公演が、東京ミッドタウンにて開催されました。 東京ミッドタウンにはさまざまな公共アートが配置されており、その中に、彫刻家・安田侃氏の「意心帰(いしんき)」と「妙夢(みょうむ)」があります。 実は、田中は2003年に札幌と美唄で開催された「安田侃の世界~天にむすび、地をつなぐ」展の北海道新聞社側の運営担当だったことから、ご縁が繋がっておりました。 このたび、東京ミ

          瀬戸内サーカスファクトリーが、常勤スタッフを募集!その背景。

          先日より、一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリー(SCF)では常勤(週4日30時間・社会保険加入)の運営事務職員を募集しております。 受付期限を4月30日とし、随時受付・書類確認・面談(リアルかオンライン)を行い、期限より早く確定し、期限より早く締め切ることもあります。 https://www.nettam.jp/career/detail.php?no=35589 ネットTAMに募集が掲載されている間は、受付中とお考えください。 SCFの運営体制 SCFは私ひとりで

          瀬戸内サーカスファクトリーが、常勤スタッフを募集!その背景。

          演出への思いを、もうちょっと書きたい。

          (写真は今年2022年6月に訪れた、リトアニアのカウナスの夜。) 舞台の演出について、もうちょっと書きたい。 前の投稿でも書いたけど、どんなすごい演出家も、生まれたときから演出家だったわけじゃない。 初めての作品が必ずあり、 最初はわからないことだらけで、情熱だけを抱えて、不器用で不細工だと思いながら、顔を半分伏せながら、目だけはギラギラして作品に向かうのだと思う。 演出家2世だとか、そんな環境で育った人ならば、最初から水を得た魚かもしれないけど、多くのひとは、きっと「これ

          「ヌーヴォー・シルク・ジャポン ジオXIO」終了しました!…ということで、演出について。

          ヌーヴォー・シルク・ジャポン、3作目、ついに直島へ。地域や日本の伝統文化と現代サーカスの出逢いを形にする、「ヌーヴォー・シルク・ジャポン」(NCJ)というシリーズが始まったのは2020年、新型コロナウィルスが突如、現れて、社会に戦慄が走った年だった。 それから2年半、2022年11月5日、6日に、念願だった直島でのNCJ第三弾が実現しました。毎年テーマも内容も全く違うので、3作目、となる。 文化の灯を絶やすな! 今では聴き慣れたフレーズかもしれませんが、2020年当時、私

          「ヌーヴォー・シルク・ジャポン ジオXIO」終了しました!…ということで、演出について。