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2021年11月11日(木)

おはようございます。
自分にある少しでも豊かなゆとりある一面を行き渡らせて、日記を書きたくとも、文化的な語彙が引き出しから滑り落ちている時があります。多分に心もちがいけない。

入院していると、時間はたっぷりあるけれど、決して満たされてはいないことに気づかされます。私はそんな中、友達のポッドキャストを聴きました。バリ島在住のビーフさんを招いた『風流なくらし』というものです。なんだかここにある、風雅な暢気さを耳にしたら、あくせく日常に追われて生きるよすがにちょっとサヨナラしたくなりました。ひといきれ、言葉の持つチカラ、分からないものも知ったものも、私には今残っているものがすべて大切なんだと思いました。聖別しながら、私は生きてきて、ここにいるのだから。

須賀敦子さんの塩1トンの読書も読みました。正確にはさわりだけをKindleのサンプルで舐める程度に。心地よい言葉を綴る人なら沢山いるけれど、そこにもっと哲学的な智慧を求めると、行き着く先はそんなには多くはない。バートランド・ラッセルを読むのも乙ですが、今の私は脳に砂糖が欲しいのです。

聖書も通読といって、丸一冊あの分厚いのを、新約聖書と旧約聖書を日に5章ずつくらい読み進める読み方があります。私は凝り性だから、もうちょっと読んでしまうけれど、今は詩篇の範疇に入り、詩は正直、たくさんは一気に読みこなせないのを知りました。私は詩文を書くことが好きでしたが、周りの人はいつだって気持ちよく読んでくださった。ああ今更、ありがたさに胸が熱くなるのです。

さて今週末には退院です。もう無理はできないと肝に銘じて、大切に生きなくてはなりません。インディカーの如きジェットエンジンでなしに、手押し車で、のそりのそりと。そして恥をたくさんかきながら。

短いけれど今日はここまで。
3サトンの砂糖をたくさん入れた豆菓子を食べたいな。あなたの隣に座って、ギターを弾きながら。

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