偶然SCRAP#49: アーティストのMaren Hassingerは、自然の世界と私たちのつながりの喪失を嘆き悲しむ

(追記:2020年1月1日)
絵を見る時に脳に何が起こっているのか?を脳科学の視点から説明した本(エリック・カンデルの「なぜ脳はアートがわかるのか」)を読んで、やっぱ「だから抽象はおもしろいんだぁ」となってるときに、探した記事。

抽象アートの作品かつ自分が良いなと思う作品の写真を見つけた。アフリカ系アメリカ人アーティストのマレン・ハッセンジャー(Maren Hassinger(1947-)。

ワイヤーくずの束を撚り合わせたり、新聞を細かく割いて編み込んだり、手書きのドローイングで細かく描いたり、すごい時間をかけて作っている。文中には「スローアート」なんて言葉も出てくる。

その膨大な時間がかかって合わされたものが凝縮されてポンッと空間に一瞬出現しているよう。前書いた記事のジェニファー・リーの陶芸の作品もそうだったけど、宇宙だー。

ちなみに2019年度のfriezeのライター賞を受賞したコージョー・アブドゥが書いた批評。やっぱり上手。

(初投稿:2019年11月9日)
イギリスのアートマガジン「Frieze」に掲載の展覧会レビューを引用紹介します。

Reviews/
アーティストのMaren Hassingerは、自然の世界とのつながりの喪失を嘆き悲しむ
BY KOJO ABUDU
29 OCT JUN 2019

このポスト・ミニマリストの抽象作品を基礎づける危機的状況―「私は、どこから来たのか、どこへ行くのかも分からない」

画像1

Maren Hassingerの彫刻やドローイングは、それぞれ多くの時間が費やされている。彼女は、編んだり、織ったり、撚り合わせて作品を作り、時々文章も書く。このような労力をかけた彼女の作品は、手仕事によるアートの無限の可能性を証明している。Hassingerのアートは、スロー・アートだ。彼女の作品の瞑想的な静寂さは、最近の資本主義の、自由奔放で、環境にとって破壊的な力を、巧妙に打ち消す。ニューヨークを拠点にするこのアーティストの最初の個展はアメリカの外で行われた。Tiwani Contemporaryで開催された「Passing Through [通過すること]」は、彼女の抽象作品の基盤をなすこの危機的状況にメスを入れる。―「私は、どこから来たのか、どこへ行くのかも分からない」

一組の壁に掛けられた彫刻。繊維のようなワイヤーの束は、ウェーブのかかった髪の毛、あるいは渦を巻いた枝を思い起こさせる。「危険な大地」(1981)と題されたこの作品は、現在も続く工業素材に対する、このアーティストの取り調べである。彼女の取り調べは、UCLAの繊維構造学科にMFAとして在籍した1970年代に始まった。Hassingerの彫刻は、公共空間における自然の消失に対する挽歌のように見えるかもしれない。彼女の逆説的な作品は、自然と文化の分断を解決しようとする試みである。この作品の誕生以来、デジタル化した経済の増殖を伴うアメリカの脱工業化は、彼女の彫刻に現代的な意味を吹き込んだ。それは、自然の世界だけでなく、物質に根を下ろした概念、つまり現実世界とのつながりの喪失をも嘆くものだ。

画像2

Maren Hassinger, ‘Passing Through’, 2019, installation view. Courtesy: Tiwani Contemporary, London

Hassingerの束ねられたワイヤーの優雅なウェーブは、彼女の繊細な筆記体の不断の流れに反響する。ギャラリーの奥のコーナーに掛けられた4枚のA4のドローイングには、いくつかの言葉が繰り返し刻み込まれている。彼女の筆跡は、形と意味の両面において、自然環境の荘厳さと躍動感を想起させる。「海」「サバンナ」「風」そして「ささやき」。これらの言葉が、それぞれの紙一杯に縦、横に書き込まれている。Hassingerは、美しい具体詩に反響するように、紙面の空間的な文字構成に細心の注意を向ける。形に対する鋭敏な感覚は、彼女の彫刻作品にも耳を傾けている。一方、永遠に繰り返されるように見える言葉たちは、連続性とこのミニマリストでありコンセプチュアリストとの相性の良さを示している。そればかりでなく、Hassingerは手書きの銘刻によって脱個人化された機械的な美を転覆する。私たちは、静かにリズムのよく音読する彼女の声が聞こえるようである。何度も何度も、毎回異なる抑揚で。

「Consolation [慰め]」(1996)という彫刻作品では、ワイヤーのくずが変形し、葦のような100個の形に生まれ変わっている。それぞれの形は、共通の形状を持ちつつも、個性が見える。恐らく、これらの形が描くものは、共通の人間性であり、違いを消すのではなく認め合う人間性である。

画像3

Maren Hassinger, Sit Upons, 2010, New York Times newspapers. Courtesy: Susan Inglett Gallery, New York and Tiwani Contemporary, London; photograph: Joshua White, Los Angeles, CA

Hassingerのポスト・ミニマリスト的な衝動は、他の彫刻作品にも現れている。「Hand in Hand [手に手を取って]」(2019)は、ニューヨーク・タイムズ紙の新聞紙を細かく刻んでから撚り合わせ、さらに丸めて、円い壁掛けの形にした彫刻作品だ。このような一見単純に見える介入が、新聞紙をマス・メディアの商品から集合意識の物体に変換する。この円い形は、統一性と継続性の象徴として、普遍的な文化の意義を表している。

「Hand in Hand」の紙面の文字をじっと観察することが、ささやき声の合唱に耳を傾けるようなものならば、「Fight The Power [権力との戦い]」(2017)との出会いは、騒々しい過激なリーダーの抗議を聞くようである。

後者の作品で、Hassingerは、この題名「Fight The Power」―偶像視される社会の敵の賛美歌に対する頌歌―を新聞紙の上に太い黒インクでペイントしている。隣り合った二つの壁の一番上に掛けられている建築的な構造を持った彫刻は、昨今世界中で起こっている気候変動デモへの参加の如く、同時にうごめく集会の招集と権力を争う象徴的な論争である。

画像4

Maren Hassinger, Consolation, 1996, wire and wire rope. Courtesy: Susan Inglett Gallery, New York and Tiwani Contemporary, London; photograph: Adam Reich, New York

鑑賞者は、ギャラリーの床の上に積み上げられた、何やら編み込まれた新聞紙の束にも気がつくだろう。「Sit Upons [腰掛け]」(2010)と題された作品は(これらの一番上の表面は、凹まされている)、座って、休み、会合を開き、意見を交わすように私たちに働きかける。一人ずつ、Hassingerは、私たちを、密接に相互につながる自然と文化の生態系の中に置く。彼女の静かで力強い作品たちは、世界は一つしかないという、当然のことを思い出させる。私たちは世界を守るため、共に行動し(そして考え)なければならない。

Main image: Maren Hassinger, On Dangerous Ground, 1981, wire rope. Courtesy: Susan Inglett Gallery, New York and Tiwani Contemporary, London

KOJO ABUDU
Kojo Abudu is a writer based in London, UK, and Lagos, Nigeria. He won the 2019 Frieze Writer’s Prize.

訳:雄手舟瑞

こんにちは