自分の人生もまたメディアに過ぎないのかもしれない(書評「ディヴィッド・コパフィールド」)

「クリスマス・キャロル」の著者でもあるチャールズ・ディケンズの長編小説。1849年から1850年にかけて雑誌に連載された。ディケンズ自身が一番好きな作品でもあるらしい。この物語の主役は作家として大成したディヴィッド・コパフィールドが自分の幼少期から大人になるまでの回想録で、幼少期の話は著者のディケンズの体験がベースになっている。ちなみにイギリスのBBCでドラマ化された時はダニエル・ラドクリフが少年時代のディヴィッド役を演じている。

石塚裕子訳の岩波文庫版で全5巻。大河ドラマやNetflixのシーズンものを見ているようで、長いのだけれど長さを感じさせない。読み始めてすぐに完全に本の世界に入り込む。ディヴィッドを取り巻くたくさんの登場人物の表情、動きが頭の中で再生される。

ディヴィッドは、生まれる前に父親が亡くなり、幼い母とお手伝いさんのペゴティーと暮している。幼い母は、ロクデナシで冷酷な男マードストンに言葉巧みに誘惑され、ディヴィッドはペゴティーのお兄さんの家に一時預けられている間に、母は再婚してしまう。

ロクデナシは彼らの家に住み着き、自分の姉まで住まわせる。この冷酷な姉弟は我が物顔で家を牛耳り、支配下に置く。ディヴィッドは、この姉弟から自分たちに従わないことから怠惰だと言われ、折檻される。

ブチ切れたディヴィッドはマードストンに噛み付き、一矢報いるが、それが元で母親から離され、ロンドンの方の寄宿学校に入れられてしまう。

またこの寄宿学校も体罰が激しく、生徒はみんな震え上がる。唯一特別扱いをされている年上で聡明でイケメンのステアフォースがディヴィッドを可愛がる。

ステアフォースの助けもあり、何とか学生生活を送っていたディヴィッドだが、ついにマードストン姉弟の闇の力にディヴィッドの母親は生気を奪い取られ死んでしまう。するとマードストン姉弟はディヴィッドを学校にやるのを辞めてしまい、知り合いの工場へとディヴィッドを奉公に出してしまう。

マードストンの知り合いのミコーバーの家にディヴィッドは下宿する。ディヴィッドはミコーバーから年齢を超えて友情の気持ちを示されるほど頼りにされている。だが、ミコーバーは借金のために監獄へ入れられてしまう。

その後釈放されるが、そのタイミングでディヴィッドは奉公先から逃亡を図り、ドーバーに住んでいるらしいという情報だけで、会ったことのない父親の姉である叔母を探しに行く。

ロンドンからドーバーまで120km。東京から河口湖くらいを10歳くらいの少年は歩いていく。叔母は規律正しく頑固だが慈悲深い人でディヴィッドを養うことを決める。

叔母は知り合いの弁護士を介してディヴィッドを学校に入れ、その弁護士の家を下宿先として高校までを過ごす。卒業後は叔母の口利きでロンドンにある弁護士事務所に修行として預ける。

ディヴィッドは弁護士事務所の経営者の娘ドーラと恋をする。なんとドーラの家にはマードストン姉がドーラのお目付け役として住んでいた。この時期にディヴィッドは、ステアフォースとも再会し、一緒にペゴティーのお兄さんの家に遊びに行ったりする。

ペゴティーのお兄さんは船乗りで、死んでいった船乗り仲間の家族たちを引き取って暮らしている。ディヴィッドの幼馴染のエミリーや従兄弟のハム、ガミッジおばさんを本当の家族のように温かく包み込む。

そんな中、エミリーとハムは婚約するが、なんとステアフォースとエミリーが駆け落ちしていなくなってしまう。ペゴティー家は絶望の淵に追い込まれる。

ペゴティーのお兄さんはその後、当てもなくエミリーを探し出す旅に出るのである。そんなとき叔母は破産して、ディヴィッドの家に転がりこむ。

ディヴィッドとドーラは親に黙って交際していたが、マードストン姉によって事実が暴かれ父親に告げ口されてしまい、怒った上司であり父親はディヴィッドと娘を別れさせる。が、翌日父親は事故で死んでしまい、ドーラは父親の姉たちの家に引き取られる。

ディヴィッドとドーラはその後結婚することになるが、しばらくしてドーラは病気で死んでしまう。その頃作家として名が売れてきたディヴィッドだが、失意の日々を過ごし、ヨーロッパへ旅に出る。3年後、ロンドンに戻る。そこからこれまでの苦難が解決されていく。

といった感じがあらすじである(記憶を頼りにしてるので正確でないところもあるが)。

こんな壮絶な人生なのにディヴィッドはいつも淡々としている。自分の状況に一喜一憂するのではなく(ドーラとの恋を除いて)、むしろ周りの人々を観察している。これが作家の才能なのかもしれない。

ディヴィッドを取り巻く、まさに「多様な」人たちが描かれる。名脇役たちが主人公をがっつり支えるドラマだ。逆に、ディヴィッド自身が自分から何か派手なことをする場面は滅多にない。ディヴィッドの人生を軸に、ディヴィッドを取り巻く多様な人々の人生が描かれている。むしろ、そっちの方が本質的なストーリーなのかもしれない。物語の作り方として、とても手本になる。

思い悩んでいる時にディヴィッド・コパフィールドを読むと何だか落ち着く。それはこの物語から、自分の人生は、周りの人生のメディアに過ぎないと思えるからかもしれない。


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