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さくらとニッチロー

花見と言えば桜だし、特に日本人は桜に自らの思いを乗せるのが好きですね。

『散る桜残る桜も散る桜』良寛禅師

植林して桜並木になってたり、山の中にポツンと咲いてたり、こんなとこに?って場所で満開になってたり、ハッとするし確かに美しい。

特にこの桜に代表される『散りぎわの美学』っていうのは、美しく咲くのが先ずもっての前提ではありますが、まだ咲いてもない人こそが『こうありたい』って願いを込めて持ち出すことが多い気がします。

桜にたとえるならば、通る人通る人がその美しさに目をひかれ、わざわざ遠くから見に来る人もいるとか、そのぐらい見事に咲いてやっと『咲いてる』と認知してもらえるのかも知れませんが、人知れず咲いてても確かに咲いてるし、逆に『ひっそりと咲き人知れず散る』その儚さや美しさも確かに素晴らしいものでありますね。

『王・長嶋はひまわり、私は月見草』

かの名将・野村克也が自分を表現する際におっしゃった言葉です。もちろん世界のホームラン王、ミスター長嶋茂雄への率直な憧れもあっての表現だったと思うし、同じプロ野球界にいて遜色ない活躍をしてもリーグの違いから紙面にも載らない自分を卑下されたのかも知れませんが、確かに生まれ落ちたところ、今いる環境、世間のニーズ、ビジュアル、いろんな面で出る人と出ない人の差は出来てしまう。

憧れるのはいいし、目指せばいいけど、根を張る場所としてそこに『居心地の良さ』があるかどうかも大事なことかな?と思いますね。

華やかで注目度も高いし大きな収入も得られるけど、その反動を受け入れられるキャパシティがある人か、若しくは鈍感で無頓着な人しか、そこに居続けることは難しい。

そこに咲くのも才能ですかね?憧れや努力、コネや金だけではどうにもできないものですね。

誰も見つけてくれないような垣根と壁の隙間に咲いてる小さい花であっても、もしかしたら誰かが見つけて写真を撮ってくれるかも知れないし、もしかしたら鳥や虫にとっては大事な存在かも知れない。

『なんて名前の花だろう?』でいい。どうあれ誰かが見つけてくれたら『咲いてる』なので、とりあえずは花をつけてみればいいんじゃないか?

美しいかどうかなんて観る人の感性によりけりなので。

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