「永遠」が堂本光一に突きつける鋭い刃…★劇評★【舞台】 Endless SHOCK(2016)

 このところ「Endless(エンドレス)」ということの意味合いについて考え続けている。それは常に衝撃を与え続けられる舞台にしようというキャスト・スタッフの意気込みであり、永遠に同じ物語が繰り返しリフレインされていく終わりなき物語であるという意味合いであり、決してゴールなどない最終結果などない厳しいショウビジネスの世界への覚悟であり、主人公が何度も生き返り、再びあふれんばかりの光の中で生き、躍動し、そしてまた再生していく物語であるという荘厳なことわりを表した物語への敬意であるだろう。そしてまた、これはどれほど工夫し、完成に近づいたと思えても、また新たな工夫点が見つかるということにもつながっている。Endlessというのは汲めど尽きせぬ堂本光一らのアイデアの泉のことをも言うのだろう。しかしそれは実に鋭い刃を堂本らに突き付けることになる。エンターテインメントの世界に生きる者として「Show must go on(何が起きてもショーはやり続けなければならない)」という不文律は当たり前だとしても、「完成などない、工夫し続けろ」というのは残酷すぎるほど厳しい。そこに私は堂本光一の果てしない孤独を見る。それは彼の心掛けなどではなく、もう既に彼の日常に組み込まれていることだろう。だからそれが彼を日々さいなみ続けることはないだろうが、常に気持ちを上へ上へと向け続けていかなければならない。その営みは人をひどく孤独にさせる。だが、2016年版のミュージカル「Endless SHOCK」を見て、その孤独は孤独ではないことにあらためて気付いた。堂本光一の孤独に敬意を表しながらも、この舞台に集う誰もがどうすればこの「Endless SHOCK」という舞台をよりよいものにしていけるのかを考え続けている。常連の屋良朝幸や前田美波里、石川直だけでなく、初めて参加するキャストも含めてどのキャストもどのスタッフもその一点を考え続けている。「この舞台に集う」と書いたのは単なるレトリックではない。大げさでも何でもなく、「Endless SHOCK」を見に来ている観客席のファンや、チケットがとれずにネットの空間をさまよい歩いている人や、悔しさを胸に秘めて平静を装っている人まで、みんながみんなそのことを考え続けているのだ。だから堂本光一の孤独は、その優しさと厳しさに包まれて、たださびしいだけの孤独ではなくなっているはずだ。みんなと一緒に進んでいけるという最高の環境を手にできているのだから。

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