#就活体験記 後悔してること
noteさんの企画に便乗した投稿となります。 #就活体験記 ですが、いい話ばかりではなく僕が後悔していることを書いてみようと思います。結果としては前向きになれたって話なんですが。。。
僕が就職活動をしたのは、2002年度から2003年度の話。工業系の大学院まで行っており、しかもその大学はそこそこ日本でも有名なところでして、簡単に言えば、「推薦枠」という名前を書けば通る・・みたいな枠がありました。こう見えて(どう見えて?)僕は学科(専攻)の中では成績は良かった模様で、「推薦枠」をもらえる権利がありました。
でも、6年やった工業系のその先に、なんか魅力を感じることができず、推薦を蹴ったのです。推薦を受けずに自分で就職活動をして、ゲームメーカーとかおもちゃメーカーなどを受けました。そういう楽しい方向が良かったのです。
この推薦を蹴ったということは全く後悔をしておらず、実際は正解だったと思っているので、後悔してることはここじゃないんです。(まだ前置き)
名前の知れた、みんなが聞いたことある各企業の最終面接まで行ったのですが、結果として最終面接で落ちたのです。その落ちた状況に僕の後悔があるのです。
あるゲームメーカー。ここの最終面接での出来事が、僕が最も後悔をしている就活の1ページなのです。
ぶっちゃけ最終面接にいけたこともかなりの奇跡だったのですが、福岡から新幹線にのって面接を受けにいきました。暑い日でした。リクルートスーツは着ていくものの、駅を降りて歩いて社屋まで移動するのに上着は脱がないと・・・な天気。
社屋に入るとすごく涼しく、ある部屋に通されて、待つこと数十分。「どうぞ。」と呼ばれて入ったその部屋は横長の会議室。「ロの字」に組まれたテーブル。緊張して「失礼します」と椅子の横に立つ僕。
面接官は、忘れもしない採用サイトで出ていた採用担当の方。「うわ、見たことある人や」と思ったのは鮮明に覚えています。さまざまな自己紹介や質疑応答に自分なりに的確に応えることができ、順風満帆。自分としても「よし」な感じでした。こりゃ奇跡起きるぞ!と。
・・・そして、後悔が募る出来事が始まります。
履歴書の趣味とか自己アピールとかの欄に話題がシフトします。僕は昔から形態模写やモノマネの類が好きで、自分でもやっていました。高校生の頃は、古畑任三郎のマネをテニスの試合会場で仲間とやって遊んでました。
そこに目をやった面接官。
「お、まさかここに食いつかれた!」と思いながらもなんとか会話を交わしたのち、面接官がこう言ってきました。
えーーーーーーーーーーーーーーー!ひ、披露?
頭の中が真っ白になって、耳が赤いのはわかるくらい血が上って、汗をかいて・・・。当時遊びでやってたのは「おすぎとピーコ」だったのですが、え?ここでやんの?ってなってパニック。
と何もできない僕をみて面接官
それが原因かはわかりませんが、おそらく原因だと思います。いわゆるエンタメに入る自分ではなかったということなんだと思うのです。
もともとギリギリの状態だったとは思います。しかし、最後生き残させるかのジャッジを僕はひとつ「緊張」というもので逃してしまったのです。
なんでそんな風になったのか・・・。分析すればすぐわかりますが、失敗したくなかったんでしょう。恥ずかしい思いをしたくなかったんでしょう。
でも結局それが仇となり、不成立したのです。
もし、あのとき面接官から頼まれた依頼を思い切って「おすぎです!ピーコです!」とできていれば・・・と後悔の念は実は今も消えません。もちろん、そこで面接を落ちたから、今の自分の環境があることは理解していますが、分岐点だったことは確かです。
その経験を思い出して、何を恥ずかしがってるんだ!と、思い切りのない自分を鼓舞することは今でもあります。
やってみろ!話はそこからだ。
だから、僕は、いろんなものに手を出しますし、こうやってnoteも書いています。ポッドキャストもやるし、時間があればYoutubeだってやりたいくらいです。
やらない後悔よりもやった後悔のほうがいい。
なぜなら「やった」という経験がひとつ積み上がるから。
僕はあの面接以来そう思ってるのでした。
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