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クソ真面目で生き辛いと感じている君へ

私はもうすぐ40歳になる会社員で、幸せな結婚生活を送っているものの、息子の性格が「自分に似てクソ真面目なのではないか?」と心配しながら子育てしている。
そんなどこにでも居るクソ真面目なおじさんが自分自身と息子、そして全国にいるクソ真面目な君に希望的観測に基づいたメッセージを送りたい。

〜他人はカオスであり、理解は願望である〜

他人は複雑怪奇であり目に見えているものも見えていないものも全て含めてカオス(混沌)であるのが“正常”な状態である。
例えば感情など当の本人でも理解できないものを、文字や絵や数字などの記号、会話を通しての音、表情や身振り手振りの視覚情報などあらゆる手段を通して伝えるが、ほぼ確実に理解という願望に基づく幻想に至る。
つまり、君にとって他人はカオスな存在であり、理解は願望であるのだ。
まずはこの事実を受け止めない限り、君の絶望は止まらない。

〜他人から理解されない〜

他人がカオスであればあるほど、君は一貫性を求めて自分なりのルールを当てはめようと必死になる。自分が納得するためだけに作られた身勝手なルールだ。
例えば、彼女が喜ぶと思って取った行動が、なぜか彼女を怒らせる結果となってしまった場合、性格がクソ真面目な君はそのカオスの状態に耐えきれず、何とか現実を理解しようと自分ルールを作り出す。まさに無駄の中の無駄の努力をする。
その結果、君は彼女との気持ちのすれ違いに気がつかずに、自分が彼女を理解している自己満足をもって理解されない存在になるのだ。
自分は必死に考えた結果、世界的な法則を大発見したと思っていても、相手からは子供用のプールで溺れている謎の人にしか見えていない。
はっきりと言おう、君の頭の中のルールは自己満足の塊で誰にも理解されない。

〜関係ない〜

しかし安心して欲しい、君はカオスではない。
君は他人というカオスな存在に対して一貫性を求めたいが、自分とは関係ないと認識する必要がある。
はじめはルールが存在しない不快感に襲われるかもしれないが、他人がカオスである限りそのままそっとしておく方がいい。他人を正確に理解している人間は存在しない、物理学においてミクロとマクロの世界を統一的な方程式で表せられないのと同じように、人間は未だそのレベルに到達していない。他人と自分が同じものという錯覚を持つと理解されない存在となるので、別のものとして解釈した方がいい。そうすれば目の前の問題を単純化できるので対処しやすくなる。

〜結局何をしたらいいのか?〜

ここまでを読んで「何をしたらいいのかわからない。」と思ったかもしれないが、結局、君がすべき事は『目の前の人間に努力と誠意を持って接していく』ことだ。
歳を取ると「世の中に魔法は無い」という事を体感する。
「親孝行しておけば良かった」、「傲慢な態度を改めれば良かった」、「誠実な対応をしていたら一緒に成功していたのに」などの老害思考が脳を侵食していき、死ぬ前にもっと真面目に生きれば良かったと思う。
クソ真面目とここでの真面目の意味は矛盾しない。クソ真面目は”他人を理解できないのに自己満足ルールを作る“という意味で、ここでの真面目は”目の前の人間一つ一つ最大限の努力を持って誠実に取り組んでいく”という意味だ。

つまり、君のクソ真面目な思考を行動という事実で上書きする作業をしたらいい。

他人は変わらずカオスで、理解は願望に基づいた幻想だが、目の前の人間に努力と誠意を持って接した行動は君の未来を創る。

情報が溢れるカオスな世界において、そのように行動できる君がより良い世界を創っていく事を切に願って止まない。

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