株式会社U三代表プロフィール

1985年
青森県むつ市にて産声を上げる。
1歳前後に川崎病を発症。
(何の自覚症状もないが、嫌いなマラソンをさぼる口実となる)
6歳前後に両親の離婚やらなんやかんやあったらしく、祖父母と曾祖母の家庭に引き取られぶくぶく育つ。
田舎なので鍵をかける習慣がないためか、鍵っ子への憧れを持ち始める。

2002年17歳の時
信号無視の車に跳ねられ左足大腿を切断。示談金は2000万円
当時は失恋直後のため、足を失ったことよりも失恋のほうのダメージに心を痛める。
(余談ではあるが、左足大腿切断の前年に某ハンバーガーアルバイトの面接落ちを経験している。)
1年ほど入院しながらリハビリや義足作成を行っていたが、病院を抜け出して飲み歩いていることが発覚し、そんなに元気ならということで無事強制退院となる。

退院後はFF11という素晴らしき世界(オンラインゲーム)に出会い、引きこもり廃人となるが義足が完成し歩けるようになると松葉杖をつきながらアメリカへ短期語学留学へ旅立つ。
たった3カ月の留学のくせに見聞を広めたつもりで帰国後、この体で肉体労働は難しいだろうと判断し職業訓練校にてPCスキルを学ぶ。
その後約4年間レオパレスに住みながら様々なアルバイトを転々とする。
(代行運転、焼鳥屋、PCインストラクター、お好み焼き屋台、データ入力等、あまりPCスキルを活かせていたとは言えない)

2009年
学歴も職歴もなくハンデを背負った状態で現代社会を生き延びるためには自身で何かを始めるしかないと思いアメリカ輸入古着屋を開業。
開業直後に事故の保険金を母親が使い込んでいたことが判明し、急遽事業資金(銀行300万カード50万くらい)の借り入れを行うことになる。
同時期に人にお金(500万)を貸してトンズラされるというダブルパンチも食らう。
事業としては楽しかったが借金返済のためには利益が少なかったため、安定収入を得るためサラリーマンへ生まれ変わる。
(この期間はコンビニで働いていた友人がくれる廃棄弁当が貴重な食糧となる)

2012年
無事正社員営業職として雇用され、罵詈雑言飛び交う職場で愛社畜となる。年収300万

2013年
法定雇用率の改正というニュースとともに障害者雇用というものを知り、大企業子会社の人事部へ転職が成功、罵詈雑言とは無縁となる。
年収300万
ここで有給という幻が実際に存在するものだということや、労働法、給与計算等、人事の基礎を知ることとなる。
(FF11で得たキーボード入力スキルやマクロ機能が大活躍)

2015年
マザーズ上場ベンチャー企業の人事部へ転職。
年収350万
仕事の楽しさと会社の変化を経験し、結婚もする。

2017年
大企業人事部へ再度転職し年代別平均年収を超えることに成功する。
年収500万
借金が消え、貯蓄に変わり始めたころ息子誕生。

2020年
収入には満足しているがベンチャーの楽しさが忘れられずIPO準備企業へ人事労務責任者として再度転職。
年収550万
このままIPOしてSOうはうはと思いきや、経営陣の会社売却によりIPOは中止となる。

2023年
一度レールから外れた道を戻すのは非常に難しいということを身をもって知っているが、努力がそれを可能にすることも知っている。
今もがいている人がいるのなら何か手助けがしたい。
という想いの元、ハンデある人の転職をサポートする株式会社U三を設立。

増田雄基



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