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ワタシの変化

入り口はカラダの違和感、出口は人生そのもの。


このフレーズが一番しっくりくる!

心と体の不調は、私を邪魔するものではなく、そのまま進むと辛くなるよ、って教えてくれる大事なサインだと、改めて再認識。

劇的ではないけど、着実に人生のニューチャプターが始まっている。

20年近く、重度な肌荒れとの戦いが幕を閉じて、
『入り口は肌荒れ、出口は人生そのもの』という素晴らしい体験を経て、
今回は、カラダ版として再び素晴らしい体験をしている途中である。

多分忘れちゃって、体感としてない変化もたくさんあると思うけど、
知らないうちにこんなにもアップデートしたんだー、と感動しております🥹

肌の変化、カラダの不調(腰痛、湯漏れ、循環、体力など)、カラダの使い方、カラダのシルエット(顔の形、脚のライン、女性らしさなど)、自分の考え方や行動、セルフイメージ、人間関係などなど、心身ともに変化があまりにもありすぎて、凝縮できないからそれは何回かにまとめて投稿しよっと!

過去の私は、不快な感覚や、ストレスを自分のカラダという物質を通じてコミュニケーションする癖を持っていたと思う。
だから、肌荒れで(私に)伝えてみたり、腰痛で訴えてみたり、様々な不調として声を挙げて、私とワタシの間を繋ごうとしていた。

今まで、本当にお疲れ様、ありがとうね、よく頑張ったね、って過去の私がワタシを諦めずに向き合ってくれて本当にありがたい。根気強く生きてくれてありがたい。

ボディクリーニングに出逢ってから、意識せず、ごく自然に変化していた自分がいて、それはカラダの違和感にフォーカスせずに、ただ今楽しいと感じること、自分のカラダが気持ちいい、ココロが心地よいと感じるポジションとシチュエーションに自分を置く回数が増えただけなのに、着実にワタシの心身は変化し、共に健康になっていた。

昔も今も、「美しい」テーマにはぶれなく研究と投資をしてきたけど、
そもそも美しいとするゴールもだいぶ変わってきたし、
昔の私は美しくなるために、何かを犠牲にしたり、我慢したり、制限をつけたり、頑張ったり、修行したり、そういう辛い?鍛錬の時間が必要だと思い込んでいた。

だから、毎週決まった時間にヨガをしたり、筋トレをしたり、毎晩セルフワークで筋膜リリースをしたり。

毎週決まったヨガの日が近づいてくれば来るほど、気持ちは億劫になり、何度ドタキャンしたことやら、今考えると先生と仲間に本当に申し訳ないことをしたと思うw
みんな当たり前に気持ちよくできていた呼吸がものすごく辛くて、長く息を吐くことができなくて、吐けば吐くほど体の色んなところが力んだり突っ張ってきて、なんであんな長く息が吐けるんだろう、あの境地まで辿り着くために修行を積まなければと自分に鞭を打った。
仲間によるとあっという間の90分の時間が、自分にとっては180分のように果たしなく長く感じて、どでかい時計を目の前に置いて、ヨガの時間を消耗していた。
ヨガをやり終えたあとは、辛いことをやり切ったドーパミンが私を待っていたから、引き続き頑張れた。要は、ヨガは私にとって義務になっていた。

筋トレをした次の日に体の色んなところが筋肉痛で悲鳴をあげて、子鹿のように家中を歩いて、階段を上がる時は苦しみそのものだったけど、それはナイスボディになる道への一歩だと思い込んでいたから、なんとか頑張れた。

毎晩続けていたフォームローラーで固くなっている部位をほぐしたり、毎日の課題になっていたセルフワークをそれでも楽しくやりこなすために、キャンドルを灯したり、音楽をかけたりして、工夫しながら、何度やっても改善されない外腿の痛みをほぐす瞬間を楽しむことに無理やり切り替えていた。

そして、トレーニングによる痛みをマッサージで癒してもらうためにほぼ毎週通っていた。

そうやって美意識高い女子として生きている真っ最中にボディクリーニングに出逢った。

その時の感想が、気持ちいい、心地いい、楽しいだけで、カラダってこんなに素早く変化するんだ!アンビリーバボー!笑
そして、お家に帰った後も、自力で頑張ることは何もなくて、とにかくたくさん寝ること。その当時のワタシへの課題はたったそれだけだった。

それから、時間が経つにつれて、修行だと感じていたヨガも、瞑想も、筋トレも、セルフワークも、自然に辞めていたし、毎週通っていたマッサージ魔だった私が、月1、2ヶ月に1、ルーティンはだんだん自然消滅していった。

もちろん、今でもマッサージを受けたら気持ちいいと思うけど、昔みたいに週1行こうと思わないし、何より、平たいベッドでうつ伏せになって180分コースとかもう無理笑

昔、マッサージの時間をとにかく最大限に受けたくて、大学生の頃、頑張ってオリスパ(懐かしい響き)でもっぱら180分コースでお願いしてたのがよい思い出ですw

そう、だから何が言いたいかというと、ヨガや筋トレ、マッサージが悪いとかそんな薄っぺらい話ではなくて、自分にとって気持ちいい、心地いい、楽しいと感じることをやることで、人はさらに健康に美しくなっていくんだろうなーと思う。

私にとってたまたまヨガや筋トレが向いてなかっただけで、向いてる人もいると思うし、それで人生がうまく回るなら全然いいと思う。

ただ私は今まで正解と思って『頑張って』やり続けてきたことは私にとって不快だったし、これからのワタシは快なことでどんどん健康に綺麗になっていく♡と決めた。

思い込みが今の自分に必要な分、どんどんアップデートしていく感覚がたまりませぬ🥰

ていうーか、 何が最高かっていうと無意識でやれちゃうことって本当にすごいねー。
3秒吸って、7秒吐いて、そんな意識しなくてもいい呼吸が自然とできるようになってきたし、歩くだって踵を先につけるとかそんな細かいことはどうでもよくて勝手に気持ちよく歩けちゃうし、自分のカラダが気持ちいいを勝手に知ってしまってる感覚がほんっっっとに幸せなのよう〜〜〜(メイクアップアーティストのHIRO様憑依)

何より、風呂上がりドライヤーをしながら鏡に映った自分が心から愛おしくて可愛いと思っちゃう🍯🍯
化粧したり、おしゃりしたり、何より、どの顔より素顔の自分が一番好き。
毎日何度も鏡を見ながらなんでこんなに可愛いのよ〜って思って見つめちゃうw

そしてそしてね、利他主義が、どれだけ深い言葉なのかやっと腑に落ちた。
一周回って、利他主義に生きることがどれだけ幸せなことなのか今ではよくわかる。
(新卒の会社の理念が骨から利他主義で、その当時は理解できず勝手にブラックな会社と決めつけて退社w)
人に優しく在る、人のために動ける、それって、自分が整ってないとできないことだし、
何より、人に優しく、人のためであることって、自分が心地よくいることからスタートすることなんだと、腑に落ちまくった。
それがまさに私の場合は人間関係にも影響していて、勝手に人のためにやったつもりが、全然喜ばれないし、自分の我慢は増える一方だし、お互い悪いことしかなくて、なんでこうなっちゃうんだろう、って何度も何度も嫌な気持ちをしてきたけど、

今ではそれがすごくわかる。

特に仕事のシチュエーションで感じたことがあって、自分の中で「セラピスト」って勝手に人を癒してあげる、癒してあげる=自分を犠牲にしてでも目の前の人を癒す、癒すこと=私が癒してあげないといけない、癒す=優しさ、優しさ=その人に全部合わせてあげること、などおかしな設定になっていて、
自分が創りたい世界観とは全く畑違いじゃーん、だから私にはセラピストなんて向いてない、そして自分に癒しみたいな才能は持っていないと勝手に決めつけて諦めていた。

昔の私で仕事を走らせていたなら、きっといろんなとこでしんどさが生じたと思う。
今のタイミングで始められて本当よかったし、
自分が心地よいポジションやシチュエーションを自分で選ぶこと、絶対に妥協しないこと、そのシンプルなことが毎回のセッションを通じて思い知らされる。

ワタシも、隣にいるアナタも、我慢ではなく、自分らしさや心地よさで繋がる、それだけでこんなにも豊かな気持ちになれるって本当幸せだなーって。

こんな風に感じられるまで20年かかったけど、自分が向かってる方向が間違ってなくて本当に良かった!
ありがとう!ワタシよ♡そして関わってくださってる全ての皆さんに愛を♡

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