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子どもにどんなスキルを付けさせたいか

20代も終盤に差し掛かり、自分が今後もし良縁に恵まれ家庭を持ったときにどう振る舞えばいいかを考えるようになりました。
特に、自分に子どもができたときに、子どもがしっかり自己実現をして質の良い人生を送るために親として何ができるかは、今のうちから考えておいても決して早すぎることはないと思います。
個人的には、人間が他人との関わり合いの中で生きていく社会的な動物である以上、人生の質はまずどれだけ多くの人と幅広く深い交流関係を持つことができるかに大きく左右されると思います。ただ、単に友達や知合いが多いだけではもちろん足りず、社会の中で自己実現をするためには自分が社会で相応の価値を発揮する必要、平たく言えば社会から求められる人間である必要もあります。その二つの見地からすれば、親として子どもに何を最優先でするべきでしょうか。

結論からいうと、自分はまず子どもに英語のスキルを身に付けさせる必要があると考えます。
上述した「どれだけ多くの人と幅広く深い交流関係を持つことができるか」という観点からすれば、英語は世界で最も広範に使用される意思疎通の手段そのものです。他者と交流する際に意思疎通の手段は当然最低限絶対必要なものであり、意思疎通ができないのに他者と交流などできるわけがありません。その意味において、英語は他のスキルよりも圧倒的に身に付けさせる必要性が高いものと言うことができます。どれだけ人格が優れていようが、どれだけコミュニケーション能力が高かろうが、その人格や能力を他者に伝達する手段を持っていなければなんの意味もありません。意思疎通の手段は社会に生きる前段階として第一に必要とされるものです。
さらに、第二の「社会から求められる人間である必要」という観点からしても、意思疎通の手段は前段階として絶対に必要なものであり、優先順位が明らかに他とは異なります。能力や教養はそれを他者と共有できて初めて社会的な意味を持つものです。きわめてレベルの高い価値を持っていても、それは他者と共有できない限り社会的には無意味なものです。

その観点からすれば、日本の教育体制が英語と他の科目とを同列・同じ優先順位で学ぶようにさせている現状には大きな問題があると言えます。
「意思疎通の手段を持っていることを前提した教養」と「意思疎通の手段そのもの」とを同列に扱ってどうするんですか。日本語に限って言えば「ひらがな・カタカナ・漢字」と「数学」や「歴史」を同時に教えているようなものです。まず「意思疎通の手段そのもの」をしっかり学んでから、その習得を前提とした教養を身に付けさせるのが筋ではないのですか。これだけ国際化が進んでいる世の中で「日本では日本語が分かればいいでしょ」とか言ってる場合ではないと思います。人生の質を左右する他者との関わり合いという要素において、なぜ相手が日本語を必ず理解しているという甘えを持っているのですか。
しかし、現在の日本の教育体制がこのような状態になっている以上、そのウィークポイントは親が動いて補完する必要があるのです。
世界規模で見たときに、自己実現のため、社会的動物として生きていくために第一に基盤として必要となる意思疎通の手段を最優先で子どもに教え込むことが、親が子どもにしてやれる最も重要なことの一つだと思います。

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