家事・育児は年収に応じて負担すべき

仕事、プラベートの媒体ともに、一般論として、「家事・育児の負担は年収に応じて決めるべき」という認識を訴えていきたいと思う。賃労働の対価:年収は、市場の評価軸の一つ。ただ、氷河期世代は、不当に金銭面の評価が下げられていると感じる。

年収も家事負担も自分のほうが多い。特に家事のルーティンワークの7割は自分がやっており、毎夜は疲労困憊だ。しかし、世間は男性が世帯主だと思って上に見て、女性はことごとく下に扱われる。

配偶者は、家事・育児は母親の責務、仕事をパートタイム勤務に変えてもっと家事を丁寧にしろという。しかし、まったく同意しかねる。

搾取される非正規雇用に甘んじるくらいならリスクを負っても起業するか、高年収の他社に転職し、定期的にハウスクリーニングを頼む。家事が不向きなタイプが努力しても、満足できるクオリティには達しない。家事代行は高すぎるというが、専門家と素人の技術の違いを考えると妥当だろう。

●家にも学校にも、今も昔も居場所がなかった

体調が悪く、重篤な病気かもしれないと、症状を打ち込んで検索しつつ、死にたくないと思っていた。症状が軽くなり、生き続けなければならないとわかり、やはり死にたいと思った。

この家にはいたくない。

ATM扱いの男性が不満をいうのはわかる。女性であっても同様に男性と子どもを養う覚悟はある。ただその場合、主導権・優先権は自分にないと甲斐がない。

●毒親の連鎖を完全に断ち切るには……

県立高校で現代文の授業を受け持っていた国語教師は、29歳まで生きて自分が嫌いなら死んでもいいと言っていた。いま思えば、現代文ではなく、哲学の授業だった。受けた影響は大きい。視野を広げ、多くの作品を見るべきというアドバイスも多くの教師から聞いた。

29歳まで生きても自分を嫌いなままだったが、誰かと一緒なら生きていてもいいと思ったから結婚した。しかし、幸福感は最初の1年ほどだけだった。腹痛による食欲不振・体重減少を経て望んだ通りに妊娠し、出産したものの、不得手な家事と子育ての負荷の大きさに辟易し、子どもを望んだこと自体を後悔した。

嘘偽りなくいうと、子どもを産んで夫との関係が壊れたが、子どもを産まずにいたら、もっと荒れていただろう。血を分けた子どもがいても、さすがに自分の睡眠時間と体力を削る日々はもう無理だと思った。幸いなことに、子どもは自分と似ていない。明るく、一人でも大勢でも苦はなく、とても楽しそうだ。家の中は毎日罵声が飛び交い、4歳、5歳あたりからずっと死にたかった自分とは大違いだ。

欲しかった幸せな家庭を夢見て、もっと子どもを産み、キャリアを諦めるか、さらなるキャリアアップを図るか、重要な決断を迫られている。その判断に向けて考えを整理するため、無駄にnoteやTwitterに書き続けている。

子ども一人なら母子/父子のシングル家庭でも育てられる。母がいなくとも父一人で育ち、遺族年金などの金銭メリットを考えるとさっさと死んだほうがいいのだ。

4歳、5歳から感じていた生きづらさは変わらず、月日を経てまた死にたくなった。青春の特権「自分探し」期間の延長で、29歳が39歳にずれ込んだだけのようだ。

常に周囲に負い目を感じ、自分磨きのために費用を投じても心が晴れず、生きづらいと感じるのか。その理由は、近々書き綴りたい。

近日公開予定:5歳から死にたかった(親の育児放棄による、市立幼稚園登園拒否の話)



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