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本のガイド「愛されたもの」        作:イーヴリン・ウォー

 ハリウッドの葬儀産業を舞台としているからには、人物のいずれの行動も、思念も人界からかけ離れたものに満たされていてもおかしくないと思うほどには、私にとってハリウッドは遠くの存在である。作品上のハリウッドには「囁きの森」という霊園があり、金泥がけばけばしく塗り立てられた黄金の門を通り抜けると、イギリスの王朝時代の別荘が立っている。富豪が住んでいると見まごうばかりの別荘である。この作品の前半部は、理知の抑制の効いた雰囲気であるが、囁きの森霊園が出てくるあたりから話に奇妙さが加わってくる。その霊園では、亡くなった人間に化粧を施す化粧師や、損壊の激しい遺体を修復する修復師がいる。現実でも、遺族と遺体の対面を実現させるために、化粧師や修復師はいるが、「愛されたもの」での修復師の手技は、完璧であるがゆえに恐ろしい。具体的な描写はないが、一ヶ月も海に浸かり、腕時計だけでしか身許の分からなかった遺体を元に戻したという。並外れた技を持つ修復師の一人が、ジョイボイという名前の、大学の葬儀学部で教鞭をとっていた男だ。その彼に憧れているのが、化粧師のエイミーだった。そしてエイミーはイギリス人でよく彼女に詩作を送ってくるバーローという青年とも関係を持っていた。バーローは「幸福の園」というペット葬儀会社で働いているが、彼女はそのことを知らない。

 ジョイボイの飼っていたインコのサンボが死んだところから、この話は奇妙さに加えて陳腐さが目立ってくる。陳腐であるから読むと退屈だ、と言いたいのではない。そもそも何が陳腐なのだろうか。エイミーは、ジョイボイ、バーロー、そして彼らとの関係について手紙を介して相談していた、バラモン導師とのやり取りの中で自殺をするのだが、男たち3人の振る舞いようや、考えが陳腐でしょうもなくて、それゆえに読む手が進んだ。ジョイボイは中西部の大学の葬儀学部で教えていたのだが、その彼を囁きの森霊園に着任させたのが、園主のケンワージー博士なのだが、自殺をしたエイミーの遺体を博士に見られたくないと、そして恐らくその理由は、博士がジョイボイの人事権を握っているからで、自身の人事に余波が及ぶのを恐れたジョイボイは遺体を、ペット葬儀会社の火葬炉で焼いた。何も彼一人で、考えて実行したのではない。そこにはバーローもいた。ジョイボイはケンワージー博士に彼女の死を知られたくないのだろうと察知したバーローは、自分の働いているところの炉を使えば彼女の死の証拠を消すことができるとほのめかす。

「あんたは、ケンワージー博士にわれわれのフィアンセの服毒死体がアイスボックスに入っているのを知られると、経歴に傷がつくと考えているんだね。おふくろさんのためにも知られないようにしたい?だから死体の始末をする手助けを僕にしてもらいたい?」

 陳腐でしょうもない言葉はまだある。ジョイボイとバーローの関係に悩んだエイミーが相談したのはバラモン導師という、中身は二人の陰気な男と、一人の陽気な若い秘書から成るうちの男の一人だった。エイミーは新聞社から男の行きそうなバーの電話番号を聞き出す。男はその日、新聞社から解雇されて飲み屋で愚痴っていたが誰も同情する者はいなかった。かかってきた電話を、男はカウンターの向こうから取った。

「それで、あたしどうしたらいいんでしょう?」

「どうしたら、だって。どうしたらいいか、教えてあげるよ。エレベーターでいちばん上の階まで行って、窓を見つけて飛び降りるんだ。それならあんたにもできるだろ」

エイミーは飛び降りではなく、ジョイボイの仕事部屋で皮下に注射器を刺して自殺した。遺体をペット用の炉で焼くことをほのめかしたバーローは、母国であるイギリスに戻ることが決まっている。自分よりも秀でた人間がハリウッドでは身を滅ぼしていったが、自分は何ひとつ失わなかったばかりか、芸術家の経験と重荷を背負って帰る、それを古臭い故郷の岸でひたすら長く時間をかけて刻み上げようと。

「長く--- どのくらい長くかかるかは神のみぞ知る。その天啓のような瞬間のためには一生などあまりに短すぎるだろう。

彼はミス・ポセキが机の上に置いて行った小説を取り上げると、腰をすえて読み始めた。彼の愛したものが燃え尽きるのを待つために」

   

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