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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY8 2001年冬 昼間、明洞】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY8 2001年冬 昼間、明洞】

次の日。
目が覚めるとSさんは着替えてパソコンに向かっていた。
「おはようございます」
「あ、起きた?おはようー」
鏡越しに目が合う。
「ごめん、仕事がはいったんだ。昼すぎには戻るよ」
「じゃあこのまま寝て待ってますね」
もう一度体を横たえると、Sさんの笑い声が聞こえた。

Sさんを見送って、一人になった。
空は抜けるように青くて、漢江からは水蒸気が立ち上っている。今日も寒いのだろう。
ガイドブッ

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY7 2001年冬 雪の江南】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY7 2001年冬 雪の江南】

この日のことだけは、はっきりと覚えている。
20年経っても昨日のことのようにはっきり覚えていることなんて、きっとこの先そんなにない。
それぐらい、スペシャルで、エモーショナルな体験だった。

明洞から戻って高級な焼肉を食べた場所は、グランドインターコンチネンタルパルナスの近くだった。地下にあるお店で、Sさんが取引先の韓国人から聞いた店だといった。

階段を上って店を出ると、先に歩いていたSさんが振

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY4 2000年冬 金浦空港】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY4 2000年冬 金浦空港】

J.Wマリオットに2泊という夢のような時間を過ごしたわたし。今日は帰国する日だ。

送迎付きツアーで来て、金浦空港発午後イチの便で帰ることになっていた私は元のボロホテルに戻って迎えを待たなければいけなかった。
当時は飛行機の出発2時間前に空港に着くのが常識だったんですよ。

朝7時。
Sさんにエントランスまで送ってもらい、タクシーに乗って自分のボロホテルに戻った。
ツアー会社が手配してくれた送迎バ

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY6 2001年冬 明洞】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY6 2001年冬 明洞】

2001年のことを結構覚えてる自分が怖いわ。
2001年2月、とんでもなく寒い朝。
COEXインターコンチネンタルホテルからタクシーで明洞まで行こうかと思ったけど、地下鉄にも乗ってみたかったので地下鉄で行くことにした。
地下鉄2号線「三成」駅。
当時初乗りは500ウオンだった。ちなみに今は倍の1100ウォン(倍!)
今のようにT -moneyカード(韓国ソウルの地下鉄に使えるICカード)がなく自動

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY5 2001年冬 COEX】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY5 2001年冬 COEX】

好きになった人を追いかけて、一人でソウルに来ました。
エモい。
もう20年も前のことなのに、この時の気持ちを思い出すと今でもドキドキする。

片思いの人をおいかけて、国境を超える。
将来娘が生まれたら武勇伝として語り継ごうではないか、と思っていたが実際娘に言うと爆笑されそうだし、今のところ黙ってる。

1月の末、Sさんからメールが来た。

「2月の頭にソウルに行くよ。今度は結構長い予定」
わたしは

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY1 2000年秋、初韓国】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY1 2000年秋、初韓国】

2000年とか昔話じゃんね。BTSとか生まれてないんじゃないの?
韓流前夜。観光客の全てがキムチと焼肉、南大門市場と明洞を目指していた時代(しらんけど)。

初韓国は高校時代の友人ⅯとKと私の3人で行った。もともとアジアなんて全然興味のなかったⅯがソウルに行こうと言い出したのは、その前の旅行で知り合った外資系商社マンの長期出張先がソウルだったからだ。
仮にSさんとする。のちに知ったが、確かにSさん

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY2 2000年冬 景福宮】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY2 2000年冬 景福宮】

2000年12月6日。
はっきり覚えているのには理由がある。
前日に木村拓哉が結婚したからだ。
関空のテレビは木村拓哉の囲み会見を流し続けていた。

初韓国で出会ったSさんに会いに、ひとりでソウルに来た。

初韓国から帰国後、Sさんとメールで連絡をとっていた。あとで知ったのだがMもKも連絡をとっていたらしい。そりゃあね、Sさんは30代にして年収2000万超えの優良物件だったもの。仕方ない。

そん

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韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY3 2000年冬 梨泰院】

韓国の思い出を韓国に行けるその日まで語り続ける【DAY3 2000年冬 梨泰院】

クラスじゃない頃の梨泰院。
2000年の梨泰院はね、戦争博物館と米軍基地と革の街だったんですよ。

昨日の帰り、明日朝に荷物持っておいでよ、といわれたわたくし。

ほくほくした気持ちで帰路について、ボロホテルで一泊し、早朝荷物をもって部屋を出た。
Sさんが取引先に行く前にホテルについて、カードキィを渡された。
「僕は仕事にいくけど、部屋は好きに使ってね」

漢江が見下ろしながら、コーヒーを飲んだ。

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