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中高一貫校が「今年だけは伝統を必ず復帰させる」ことの道義的な意義について

こんばんは。今日は少しだけ真面目な話を書こうと思います。

世の中には中高一貫校というカテゴリの学校があります。これは、中学校と高校の教育を一貫的に行うことで、より深い学びが得られることを目的としたシステムです。世間では、多くの中高一貫校、とりわけ私立高校がカリキュラムを巻いて授業を行うことがあるので、教育が大学受験が目的と化しているとの指摘も見受けられますが、メリットもあるのではないかと考えられますので、一旦そこは中高一貫校の存在を認めて話を進めましょう。

さて、今年度が中高一貫校にとってどのような意味を持つかというと、それは「コロナ(※1)前に入学し、多くの平常行事を経験した最後の学年」が卒業する年であるということです。平成31年度中学部入学生が、もう今年は受験生であるのです。

コロナは私たちの生活を一変させました。もしかしたら身近な誰かを亡くした人も少なくないかもしれません。少なくとも、コロナ以前と比較すれば、私たちが得たものよりは失ったものの方が多いでしょう。学校行事も例に漏れません。「三密(※2)」や「ソーシャルディスタンス」が叫ばれた時代に、生徒や児童の接触が予期されるものが中止されたり、ウイルスや細菌類に対する意識にも変革が起きました。

では、本題です。なぜ、「中高一貫校」が伝統(2019年度以前に行われていた行事等)を復活させなければならないのか。なぜ普通の3年制の高校を含まないのか。順番に書いていきます。

日本人は慣れたらその状態に留まりたいと考えるようになる、という言説がよく巷で言われていることはご存知でしょう。この問題の本質の一つです。コロナになって学校行事に起きた変化の多くは、「簡素化」の方向であり、一見面倒であるような内容が思い切って切り捨てられることが多々見受けられました。その一例は例えば運動会などにも見られます。組体操、騎馬戦などが運動会のラインナップから消えた学校は多いのではないかと思います。接触を伴い、かつ大変な一面もある競技ですので、コロナの時期に一時的に取り止められたことは理解できます。

中高一貫校の現在の高校3年生は中学2年生以降、組体操や騎馬戦が外れた状態での運動会を経験してきました。それらは見栄えのする上級生の競技ですから、いわば遠い昔に見たことがある、でも他の形態で長くやってきたんだよな、という常識が生徒たちの念頭にはあります。2019年よりも温暖化が進んだ現在、春でも秋でも、運動会は酷暑です。変化を嫌い、表層上の簡単さが見えている状態では、それらの競技の復活はあり得ないでしょう。

一方、3年制の高校では現在誰もがコロナの後に入学した生徒たちです。そもそも、どのかたちが正しく長く行われているのかを常識として身につけている人が少ないことは一考に値します。特に、コロナ前を「知らないこと」はもはや貴重な価値です。彼らには新しい伝統を作る余地があります。常識がそこに存在することとしないことでは大きな違いがあるのです。

教職員の考えも含まれるだろう、という意見も確かにあるでしょう。しかし、多くの高校において、初期段階の意見表明の力を持つのは生徒です。そして定期異動があることも踏まえると、教員のより多い中高一貫校の方が凝り固まった考えがこびりつきやすいのです。

こうして、3年制の高校が新しい伝統を作る方向に向かったとして、中高一貫校が現在の状態に留まりコロナを引きずり続けることが果たして望ましいのでしょうか。否です。中高一貫校は3年制の高校に比肩され、やがて文化的な魅力をも失うに違いありません。それを防ぐことが、最後のコロナ前の世代である高校3年生に、現在道義的に求められていることなのです。

そこに於いて、私は現在の高校3年生に、2019年の極力の再現を強く求めたい。
ノスタルジー的観点ではなく、次の世代が前に進むオプションを与えることが最後の私たちのやるべきことなのです。

コロナ以前まで組体操や騎馬戦、もちろんその他の例で考えれば合唱コンクールや文化祭など、簡素化される前にずっと行われてきたことには、もちろん多くのムダは含まれますが、それ以上の理由があってずっと行われてきたと考えるべきです。なぜなら、高校3年生はそれを遠い昔に見ただけだから、です。実際に身を切って過去の再現に今一度臨むことで、それがなぜ行われてきたかへの考察が深まります。その上で、新しい伝統を築いてゆけば良い。現在の高校1年生や中学3年生には、コロナの形態と昔の形態を目撃し、その比較から自分たちなりのやり方を選ぶ時間がまだ十分にあります。

実は、私の通う中高一貫校では、高校3年生の学年競技としてコロナ前に行われてきた騎馬戦の案が廃案になり、大縄跳びか障害物リレーを生徒に選ばせる方向で調整がなされています。騎馬戦の早期廃案理由として、暑い、疲れる、痛い、などの意見が体育委員の間で上がったと聞きます。騎馬戦を行わないことについて同級生の一人が休み時間で言及した際に、「そんな昔のにこだわったって意味ないじゃん」という声が他方から上がり、多くの生徒が賛意を示しました。

私は、これを誤りであると断じたい。学校、ひいては自分だけではなくその後に続く後輩たちのために、私たちが個々の利益ではなく、大局的にできることを模索するのは義務であると思います。これは日本人の政治参加への意識へともリンクし得ます。決して共産主義を誉めそやすものではありません。全体の利益を思考の片隅にでも置いた上で、個人の選択をすべき、ということに尽きます。中高一貫校に通うほどの能力を持つのであれば、今後の人生で上に立つ可能性が高いので、そのニーズはさらに高いのです。

そんなことを考えながら、自分には愛校心がないと思っていたのが案外比較的ある方なのではないかな、とさえ思われてきて可笑しいですね。

※1 コロナ…COVID-19、通称新型コロナウイルス感染症のこと。2019年から2022年にかけて世界的な流行を引き起こし、2022年の時点でWHOは世界累計1500万人がこの感染症に関連して死亡していると推計している。
※2 三密…、コロナ拡大初期に首相官邸・厚生労働省が掲げた標語。密閉・密集・密接を指し、集団感染防止のためにこれらを避けるように呼びかけた。

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