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『HUEC』創刊号

やっと秋らしくなり、衣替えでもしようと押し入れをごそごそ。
そして、毎度のことなのだけど、アルバムやら、昔の書類やら、
作品やらで時間がとられてしまう(笑)。

すっかり忘れていた大学卒業時の文集があった。
放送大学青山昌文先生のゼミ生たちの文集である。
しかも『HUEC』創刊号、だったらしい。
HUECは「放送大学美学サークル」をフランス語読みして頭文字をとり、
HUEC(ユク)の会と名づけられた、とある。知らなかった(笑)。
その文集に参加するように誘われて書いたものをここにあげてみたい。

◎「環境の世紀に希求される思想について」を書き終えて
 私は3年がかりで前橋へ4回、文京へ1回、大宮へ5回足を運んでゼミに参加し、やっとの思いで卒業研究を提出し、昨年12月の口頭試験に臨んだ。青山先生から「まず5分間で自分の卒業研究の内容を述べなさい」といわれ、私は四苦八苦しながら答え始めた。
 どのくらいしゃべっていたのだろうか。
「これじゃ、いくら時間があっても終わらないですよ」と、苦笑しながら青山先生は私を止めてくださった。つまり、卒論を提出したあともなお、全くまとまりがなかった、というのが私の研究の結果だったのである。
 私の卒業研究のテーマは「環境の世紀に希求される思想について」という大それたもので、私たちの世界観の変容について研究したものである。地球規模での環境破壊の現状は刻一刻と悪化をたどり、危機感は増すばかりである。そうした考え方はあらゆる垣根を越えて、さまざまな形や方法をとりながら潮流をつくりつつある。それが環境破壊を食い止めるために必要なことなのだと、私はいいたかった。しかし、それを論文にするのは至難の業であり、今思えば私が何も知らなかったからこそ、このような大それた研究課題に取り組めたのだと思う。私にとっての卒業研究は、自分の世界観を見つめなおし、私自身が「ここにいること」を確認する行為だった。
(中略)
 では、私が書きたかった世界観の変容とはどのようなことか。得意でもない量子力学、生物界での散逸構造論、有機体哲学、一般システム理論、ガイア仮説などといった理系の世界に頭を突っ込まなければならなかったのは、そこに意識変革の必要性が提示されていたからである。また、環境問題に取り組む活動家たちが世界観の変容を語るようになって久しいが、世界観の変容を具現化することの難しさは、あらゆる場面で露呈している。いまなおわれわれは模索中であり、理想と現実が交錯したなかにいる。
 私は論文の最後に一番書きたかったグレゴリー・ベイトソンを登場させたが、青山先生になぜベイトソンなのかと斬りこまれたにもかかわらず、そこでベイトソンの思想についてきちんと書くことができなかった。これはただただ力不足というしかない。
 最後に、青山ゼミの印象を記すと、そこには活きた場があり、現実が交差し、論文を書くという行為が身体的な実感を伴っていたように思う。青山先生が厳しく論文の指導をしてくださるのは、論文は実感を伴い、生き生きとリアルなものでなければならないということをおっしゃっていたのではないか、と私には思えた。
 私はこの研究によって、忙殺されている日常から離れ、私が生きていること、私自身が環境であること、私の行動のひとつひとつが環境に影響を与えていること、そしてそこには意味があり、その本質にふれることができたように思う。それは大変有益であった。青山先生と、3年にわたる学友たちに心から感謝したい。

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