追い込まれないとやらない病気。
・とっくのとうに人生が詰みかけている
齢21にして人生が色々と詰んでいる今日この頃なんですけれども、その転機やきっかけの多くが「とりあえず後でやろう」という全力ADHD精神にある。
年末からnoteをたくさん更新しようと決めたはいいが、書く内容を思いついてメモをするわけでもなく、いざそれを書こうとした時にはどんなテーマや題材で書くのかを忘れてしまっているというザマ。結局テーマを少し軽くして意欲を上げようとした結果、1月24日の深夜3時頃にキーボードと向き合って文字を綴っておるわけです。
「後でやろうは馬鹿野郎」とよく言われるが、小学校4年生の頃から一向に治る気配すら感じない。
夏・冬休みの大量の宿題もそうだが、普段からの宿題も本当にやる気が出ず最低限の雑なノートを提出したり。学校へ早く行く用事があっても、なぜか時間ギリギリまで家にいてしまいダッシュで息切れしながら校舎にたどり着く。時間管理もスケジュール管理も一向にできない社会不適合者の片鱗はとっくにあった。
実際に大人になって少しだけ(1ヶ月)働いていた時も早く来てくださいという日に早く来ず普通に定時出勤をしたり、10分前に出勤したら先輩に「遅すぎるんじゃない?」と言われる有様。時間に間に合えばOKというスタンスは学校ではギリギリセーフかもしれないが、社会ではまるで通用しないわけでして。
・直近での「後でやろう」問題。
去年の夏頃らへんに「2024年から新NISAが始まるから知っておこう!」みたいな動画が散見されるようになり自分も勉強であったり色々と準備をしようと思ったんですよ。この先まだ多少は生きていたいし。
いくら損が出にくい積み立てNISAだからといっても脳死でYouTuberとかが薦める銘柄を雑に買うのは「靴磨きの少年(下部説明)」のような事例な気がしてならず、ちゃんと学ぼうと思った。
んで、なんと年が明けました。
最初に見ようと思っていた新NISAの動画は、後で見るの再生リストにはいったまんま2023年の4ヶ月を過ごしてしまい、靴磨きの少年どころか靴すら磨かないただの立ちんぼですよと。
・大人の社会ゴミになってわかったこと
自分の好きなことや興味がある事柄に対して夢中になるのは決して悪いことだとは思わないし、それがいい方向に行った時の爆発力は凄まじいものがある。
実際にとてつもないビッグチャンスを手に入れられるかもしれない瞬間に今まで何度も遭遇してきた。パッと思い出せるだけで4回はあった。でもその時は変なプライドというか自分のことを社会不適合者であると認められない若造だったためにそのチャンスボールを蹴ることすら叶わなかった。
その後、社会不適合者であることを自分で認めながらも気づいたら社会的には成人と呼ばれる20歳になってしまっていた。色々周囲からの目も変わってきてお年玉も貰えない年齢に。
それを機に社会に少しづつ出てみることを決意したが、変に自信過剰になってしまったり、メモを取ろうとしても振り返る癖が無いのに加えて整理なんて全くされていないために思い出すためのメモ探しも難航。そして社会での仕事特有であろう実際に接客をしながら学んでいくスタイルな為一度の失敗がかなり痛い。そういうメンタルを持ち合わせていないんです。
自分で言うのもなんですけど、世間的な常識は持ち合わせている人間であると思っていたんですよね。そんな中で久しぶりに社会に出たらたった1ヶ月で常識がない人間なんじゃないだろうかと思えるほどに上手くいかなかった。この時自分は「一般常識」と「社会常識」は全くの別物であるということを学んだ。
こんな21歳がのうのうとこの世界で生きてるから、なんか辛いことがある人はこの社会ゴミを見て嘲笑ってもいいし、共感してくれてもいいし、何か誰かの生きる糧になればいいなって社不さんは思ってます。それでは。
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