選手と組織の権力

世の中は時に理不尽なもので、自分の都合のいい様に出来ていません。スポーツで成功したい場合は、当たり前の事ですが、まずは自分の実力が最も大事です。そして、どんなスポーツでも、自分を使ってくれる組織や監督が必要です。自分に実力があって、監督に試合に出してもらって、試合で実力を発揮して初めて優秀と言われます。無所属で優秀な選手はあまりいないと思いますし、優秀な選手はどこかの組織に所属しています。つまりどんなに実力があっても、監督が使ってくれなければ、実力なんて無いのと同じです。自分がスポーツで成功したい時に、自分はその組織に信頼されているかが重要です。オリンピック選手になりたければ、自分の実力意外に所属している組織の監督に好かれて、代表選手を選ぶ側の人間にも好かれる必要があります。とても残念ですが、これが現実です。一発勝負の勝敗で代表選手を決めるとしても、自分以外の誰かの力を借りて、試合に出場させてもらう必要があります。どんなに腐敗した代表選考組織でも、代表選手に選ばれたければ、そこのルールに従う必要があります。これはある意味スポーツ界でありがちな体罰の様なもので、試合に出場したければ、監督やコーチの体罰に耐えなければなりません。なぜなら自分を試合に出場させる権利を持っているのは監督やコーチだからです。体罰に関しては、2013年に元プロ野球選手の桑田真澄さんがインタビューで体罰否定論を語っておられましたので、一度お調べ頂きたいですが、私も桑田真澄さんのインタビュー記事を見て、とても考えさせられた事を思い出しました。体罰は絶対に逆らえない上下関係の上に成り立っています。そんな組織に従うのが嫌で、辞めていった有能な選手がどれだけいるかと思うと、スポーツ界にとって大きな損失です。スポーツ組織はスポーツの発展の為に、常に正しい判断をしてもらいたいと思いますし、選手はまだ見ぬ未来の有能な選手の為に精一杯正義の為に戦ってほしいと思います。いつの時代も自分自身の人生もリードできないリーダーが、組織をリードしているものだと思います。選手と組織の揉め事は、組織が一歩引いてこそ、組織の利益であります。それが理解できる組織が増える事を願っています。

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