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依存体質からの脱却は必須なのではないか

少し前にこんな記事がありました。

アパレルの生産が
「中間業者」に依存せざるを得ない理由


この記事に書いていることはもっともで、私が書く内容としても、
「中間業者排除」と安易に言いたいわけではありません。

しかし、近年の一部アパレル業界においては、その必要性がなくなっているケースも少なからずあるように思っています。

上記で紹介した記事の内容は前提として、

一定数の生産量や物流があって成り立つのだ。

ということです。

先日私が書いたnote「アパレル工場の系統」で紹介したように、大きく分けて4つの系統に分かれる「工場」。

これは、縫製だけでなく、生地や資材関係の工場にも同時に言えることで、
多くの場合が「一定の生産量」によって支えられているケースが多いということです。

あえてこういう言い方で表現しますが、
「所詮工場は作る人」なんです。
デザイナーでもなければ、営業マンでもない。

だから、いわゆる〈量産商品〉を企画、計画、そしてマネジメントする中間業者に依存しているのが今までの現実でした。

しかし、商材や業態によっては、絶対条件とも言えた物量確保すら難しくなっているものもあるようです。

そして認識しておかなければならないことは、

①量産体制であり、継続的生産がある前提の加工費計算をしていること。
②長年の積み重ねでパワーバランスが構築されていること。

①は、簡単に言えば『生産量が減れば立ち行かなくなる』
②は、①の問題を解決するにも要望が出せない、要望が通らない。

細かいことを言えばもっと根深く、理不尽にも思えるような環境がありながら、この事実は多くの人が気づいている問題でありながら、気づかないふりをしていたり、変えられないと感じていることです。

フラフラと脱線してしまっていますが、

依存体質にある環境で、中間業者にも頼れなくなった末端工場の末路はおそらく悲惨なものでしょう。

そして、この先『工場』というものが湧いて出てくるようなことはまず無い。

その環境を作ったのは、そこに関わるすべての人達です。

抱えている課題感は共通なはず。

飲みながら愚痴っているだけでは結局何も変わらないでしょう。

それで満足している人たちは『グッバイ』です。


より具体的に、より素早く。

変化を恐れずに行動して行く人達だけが生き残るのは明白な事実ではないでしょうか。

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