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なぜ死ぬのが怖いのか?~読書記録318~

鎌倉にある円覚寺の管長である横田南嶺氏と漢方医の桜井竜生氏の対談集だ。



 禅の老師と漢方の名医が、それぞれの立場から、人間の生、病、死について大いに語り合った一冊。二人とも幼少の頃から、死ぬのが怖くて怖くて仕方なかったという。しかし、その恐怖を克服するために、一人は座禅を組み、禅僧となり、もう一人は医学を学び、外科医の道を歩みはじめる。こうして別々の道を歩んだ二人が、しかし今、ほとんど同じところにたどり着いた。それは、大いなるいのちの世界――「きっと生と死の境目はないのでしょう」。生命や宗教の本質を理解すれば、死ぬことが恐怖ではなくなり、最高に充実した人生を送ることができるだろう。(出版社紹介より)



横田南嶺管長。1964年和歌山県新宮市生まれ。 1987年筑波大学卒、在学中に出家得度し、卒業と同時に建仁寺僧堂で修行。 1991年から円覚寺僧堂で修行し、1999 年円覚寺僧堂師家、2010年円覚寺派管長に就任。



桜井竜生。1965年、奈良市生まれ。 奈良学園高校を卒業後、国立佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)を卒業。 消化器、一般外科を専攻。 ケンタッキー州立大学を経て帰国後、北里大学漢方医。医学部医学科入学。北里大学付属病院に勤務。鍼など東洋医学の指導、臨床研究を行う。帰国後、2002年に北里研究所(現北里大学)東洋医学総合研究所漢方診療部に所属。2013年、聖マリアンナ医科大学医学部内科学総合診療内科にて医学生の漢方医学の教育に従事。女子美術大学非常勤講師、日本東洋医学会漢方専門医



なぜ死ぬのが怖いのか?
それは、死んでからの事は誰にもわからないからだ。
イエスは死んでから蘇った事になっているが、それは事実とは言えないようだ。と、最近の私はやっとわかった。

私が勘違いしていたのであるが、横田南嶺老師は、お寺の息子さんかと思っていたら一般家庭の生まれで、求めがあり、色々な人との出会いがあり、円覚寺派のトップにおられるのだ。ここまで突き詰めるのは本物だと思った。

高校生の頃、曹洞宗僧侶の井上義衍(ぎえん)老師と世界的デザイナー横尾忠則氏の対談を見られた。当時、井上老師は、曹洞宗で「これほど悟った人はいない」と言われた人だ。
そこで、井上老師は「死というのは、小便に行くようなもんだ」
と言われたという事であった。
そんな大袈裟なものではなく、小便したくなったら行ってそれで終わり。とそんなものと捉えるようなのだ。
横田南嶺老師は、井上ぎえん老師の息子さんに井上貫道老師にその後、随分と世話になったらしい。

今は、井上貫道氏は、座禅会で全国を飛び回り、その息子さんが、こちらのお寺の住職をされておられる。

桜井先生については、私自身、知らない方で申し訳ない。結局は、西洋医学よりも東洋の漢方医として、目指すべき道を得た人なのだという気がする。
小さい頃から薬を飲みすぎ、免疫力がなくなり、アレルギーになるなど。納得がいく。

結局のところ、井上老師ではないが、「ちょっと小便にでも行く」つもりで死ぬことを考え、今生きている事に集中したらよいのだと思った。

こちらには、動画でお2人の対談が紹介されている。

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