見出し画像

墓じまいで心の荷を下ろす~読書記録160~

2021年に発刊された宗教学者・島田裕巳先生による著書。

著者自身が小学生の時に、墓じまいの体験をされたらしい。
祖父の代から東京住まいなのに、祖父の実家である栃木県の寺に伯父の墓だけあったからだそうだ。祖父の墓は都内に。

あまり行き来のない田舎に先祖の墓があり、悩む人は増えているのではないかと思う。

私は、この本の中で知ったのだが、一般庶民にとっての墓というのは新しいものだ。
「先祖代々の墓」などとあるが、それほど古い人は祀られていないのだ。
諸事情から火葬が当然になり、火葬すると「お骨」が残る。で、それを納める場として墓の役割もあり、又、バブル期には豪華な御影石の墓が造られた事もあった。

私は、歴史の中での有名人の墓に行く事が多いが、それは土葬されて、近くに目印という事が多いのだ。

江戸時代、一般人は、このような墓は作られなかっただろう。
共同墓地にて埋葬だったと思う。

先日、読んだ「フランダースの犬」でも、亡くなったネロは村の共同墓地に埋葬された。それは、日本でもヨーロッパでも、中世は村の人たちが面倒見が良かったからかもしれない。
今なら、身寄りのない少年の遺体はどうなるのか・・・
そんな比較も出来るのだから、やはり、私は、東京大学名誉教授の中村元先生が言われるように「日本史、世界史と科目を分けず、一つの教科書でやったほうがいい」の考えに賛成なのだ。
同じ時期、世界各国、日本と、共同体についてどう考えていたかなどぜったいに面白いと思う。


「無縁墓」であるが、お寺としても頭を抱えてはいないだろうか?
お金を払ってもらえなくなった。はい、じゃ、お墓を無くして、他の人のお墓を作ります。なんていうわけにもいかないと思う。
ただ、少子化や若い人の考えなどで、お墓参りが出来ないし、跡継ぎがいないという事もあると思うのだ。

そこで、永代供養やら海上散骨やら出て来る。

尚、この書で紹介されていた大阪市の「一心寺」であるが、諸事情で納骨を現在新たに受け入れていないそうだ。
なんと、お骨を送り付けて来られるかたもいるとか。
実は、残された側にとっては、「墓」「お骨」。悩みの種かもしれない。


私自身は、息子が世間一般の人間と感覚が違う為に、自宅で亡くなったとしたら、そのまんま近所から「異臭」で苦情を言われるまで放置される、と予感している。
今から、自分の事は自分で片をつけたい。もう、子供や親せき頼る時代ではないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?