見出し画像

大江戸お寺繁盛記~読書記録374~

大江戸お寺繫盛記 2019年 安藤優一郎

お寺は辛気くさい? いえいえ、江戸では違いました。大奥に営業をかけたり、宝物をお披露目したり、芝居や寄席の会場かと思えば、金融機関であったり……。賑やかな江戸のお寺をご覧あれ! 江戸時代、お寺は敬虔な信仰空間であるとともに、賑やかな商業空間であり、娯楽空間だった。境内には、たくさんの飲食店が並び、芝居や寄席の客がどっと押し寄せ、富くじが行われ、さらには金融業まで営まれていた。また、表の舞台とは別に、将軍家や大名を檀家にするべく、大奥などへの営業活動も活発に行われていた。現代のお寺とはちょっと違う、華の御江戸のお寺の賑わいをご覧あれ!

安藤/優一郎
1965年千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆・講演活動を展開。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」などの講師を務める。


お寺や神社に行くと、そこでの参拝の仕方やら専門用語をうるさく言われる事がある。
けれども、それってもしかしたら最近の話なのではないかなと思えてくる本であった。
江戸時代は、もっと自由だったのだ。
ここで想い出したのが、男はつらいよに出て来る柴又帝釈天の御前様。

御前様、『男はつらいよ』において柴又帝釈天(経栄山題経寺)の住職として馴染み深い人物だが、その身上についてこれまであまり多くは語られていない。まずはプロフィールを整理しておこう。
そもそも「御前様」という呼称は、ザックリ言ってしまうと位の高い僧侶に対し尊敬の念を込めて使われるもの。加えて正式な法名を経栄山題経寺十八代山主・日奏上人という。

下町の人が気軽に相談に来られるような雰囲気の僧侶だ。

江戸時代は、もしかしたらお寺ってこのような気軽な存在だったのではないのだろうか。
檀家さん以外お断りとか、法事だけのお寺ではなしに、お寺の境内でのんびりと過ごしてもよし、と。
それを言うと、神社もだ。
私が好きな神社は小さな公園のような神社で小さい子が滑り台やブランコで遊んでいる気軽なものなのだ。
「こんなのも知らないのか?」と、うるさく言う神職はあまり好きではないというか。

インターネット彼岸寺主催の松本僧侶との対談が良かった。

松本師は
「お寺に来てくれない」ではなく、「来てくれるような仕組みをつくっていない」と言う。

これまで、檀家さんのみを対象に仏事だけを提供してきたので、広く社会から人を受け入れるという経験が少なく、どうやっていいのかわからないかもしれません。(本書より)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?