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文体ごとの書き分け、使い分け

お題を頂きまして

先日、Twitter(今はもうXですが、しゃみめにとってはいつまでもTwitterなのです)で、note記事のテーマを募集したところ、大変に興味深いお題を頂戴しまして。

こちらのminさん、個性的なマダミスを量産する九州のマダミス作家様でいらして。代表作は『白と黒の狭間に』『赤の導線』などです。人の心を絞めつける、苦しくも美しい物語に定評のある作家様でございますね。皆様も是非、御体験ください。
ともあれ、大変に有意義なテーマです。早速取り掛かってまいりましょう!

連続したtweetで、このように細やかにテーマについて御提示いただきました。後はもうしゃみめが益体もない噺を垂れ流すだけでようございますね。
お暇な方は、どうかごろうじませ。

3つの書き方

① 「あなたの名は~だ。仕事は○○で......」という客観的な書き方
② 「私の名は~だ。○○を生業にしている……」という、主観的だけど俯瞰的な書き方
③ 「私の名前は~。でも、子供の頃からこの名前が嫌いで○○ってニックネームを使ってるの」という、かなり主観的な書き方(ホラー小説系も?)

minさんから、3つの書き方を示していただきました。しゃみめも実際、この3つを使い分けています。
使い分けているのには理由があります。
それぞれに、別の機能があるからです。別の効果が働くからです。
しゃみめが、何を期待してそれぞれの文体を使い分けるのか?
お話ししてまいりましょうね。

2人称

① 「あなたの名は~だ。仕事は○○で......」という客観的な書き方

こうした書き方を2人称といいます。
小説などで一般的なのは3人称、あるいは1人称です。
では、2人称があたりまえのジャンルはあるのでしょうか?
あります。そして、きっと皆さまも目にしたことがあるはずです。

マジック・ザ・ギャザリングのカード
【戦慄衆の将軍、リリアナ】

こちらは、世界最古のトレーディングカードゲームである【マジック・ザ・ギャザリング】のカードです。カードテキストの最初の部分を読み上げてみましょう。なんと書いてありますか?

あなたがコントロールしているクリーチャーが1体死亡するたび、カードを1枚引く。

ほら、どうです?
「あなたが」からテキストが始まっていますね。
実は、他の多くのゲームにおいても、あなた(ゲームのプレイヤー)に向けての説明文という形をとっています。

そう。これは説明なのです。ゲームのほうから、あなた(ゲームのプレイヤー)に向けて、ゲームの内容について説明しているのです。

では、これは誰の視点なのでしょうか?
これは、小説の作法と同じです。
いわゆる一元視点神の視点があります。
一元視点とは、ある特定の登場人物の視点から描写したものです。作中のとある人物からあなたを見ているわけです。一元視点には、錯誤が含まれている可能性があります。視点人物が間違う可能性が捨てきれないわけですね。
神の視点とは、物語世界外の語り手の視点から全知の存在として叙述しています。全てを俯瞰しているわけです。神の視点には、錯誤はあり得ません。事実を、真実を詳らかに示しています。

一元視点でのマーダーミステリー作品というのは寡聞にして知りませんが、成立はするでしょう。また、後半において、その記述が実は神の視点ではなく、作中人物の視点であったのだという、大返しを仕込むこともできそうですね。
神の視点でのマーダーミステリー作品は、たくさんあります。事実を羅列して、妥当性を精査して、秘密を共有する。こうしたやり取りの基本となるのは正確な情報です。そして、正確な情報を提示するのに、2人称・神の視点は最も優れているといえるでしょう。

1人称

③ 「私の名前は~。でも、子供の頃からこの名前が嫌いで○○ってニックネームを使ってるの」という、かなり主観的な書き方(ホラー小説系も?)

こうした書き方を1人称といいます。
小説などで一般的なのは3人称、あるいは1人称です。
それでは、おそらく一番有名な1人称小説冒頭を貼り付けておきましょう。

言わずと知れた名著
【吾輩は猫である】

吾輩は猫である。名前はまだない。

この一文から始まる夏目漱石の小説を知らない人はいないでしょう。読んだことはなくとも、タイトルくらいは聞いたことがあるはずです。
わたし、ではなくて、吾輩ですが……。これも自分自身を指す代名詞です。ちゃんと1人称なのですよ。

さて、これは誰の視点でしょう?
猫の視点ですね。そして、全編通して、猫の語りなのです。猫の語りで全てが進行していきます。
つまり、1人称というのは「自分語り」なのです。
読者も今は猫になって、猫の視点に乗り込んで、物語を満喫してもらおうというスタイルなのです。

今、読者は猫だから、人間のことを次のように言うわけですね。

毛を以て装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。

毛の生えた猫から見たら、人間なんてつるりとしたヤカンなのかもしれませんね。こんな視点がいかにも猫らしいじゃあありませんか。

このように。
自分から見えるものが、どう見えるのか?
自分が感じ取ることが、どう感じ取れるのか?
主観に満ちた心象を描くのに向いているわけです。
ただ、それが事実かどうかは保証の限りではありません。だって、どう見えているかということと、それが本当は何だったのかということとは、別問題ですから。
こうした錯誤を容易に入れ込むことができますので、マーダーミステリー作品を書く時などで、叙述トリックの組み立てに大変に有用です。
是非、お試しを。

1.5人称

② 「私の名は~だ。○○を生業にしている……」という、主観的だけど俯瞰的な書き方

こうした書き方を1.5人称と言います。
……。
嘘です。造語です。
ですが、ライター界隈の一部では、まことしやかに使われる言い回しです。
ノンフィクションライターの柳田邦男さんが「2.5人称」という言葉を生み出して、その流れで創作界隈では「1.5人称」という用語が自然発生したようですね。
1.5人称というのが何を表すのか、様々な解釈がありますので、しゃみめがコレ!と断定することはできません。ですが概ね次のように言えるでしょう。

基本的に1人称視点で叙述される。
セリフは完全な1人称。
地の文では客観的な情報を叙述することもある。


このように整理しますと、1人称人物が思っていること以外にも、1人称人物の客観的な情報を丁寧に示すことが多いのが、1.5人称と言えましょうかね。
ただし、これは紛らわしい書き方です。読者から見て、その情報が正しいのか? それともそう思っているだけなのか? 区別がつかないのです。
この区別のつかなさが、絶妙ですね。
書き手にとっては、使い勝手がいいとも言えますし。
読み手にとっては、曖昧に過ぎるとも言えますし。
TRPGのハンドアウトを描く時など、少ない誌面に十分な情報(客観的事実から個人的心象まで)を組み込みたい時には、有用な書き方です。

しゃみめの使い方

さて、それぞれの文体の特長を紹介してきたわけですが。
しゃみめがどのように使い分けているのかを、続けて御紹介しましょう。

2人称の使い方

2人称は説明に向いています。
ルールテキストの記述、客観的な事実の提示などに使い勝手が良いです。
なので。
TRPGのルールテキスト
TRPGのトレーラーテキスト
マーダーミステリーのマスタリングガイド
マーダーミステリーのトレーラーテキスト

などで使っています。
ここで言うトレーラーとは「今回予告」のことです。セッションの募集のために、事前に公開されるテキストです。作品世界の簡単な説明であり、雰囲気を伝えるためのものです。

1人称の使い方

1人称は心象描写に向いています。
個々人の心の内側、隠し事、動機などを記述するのに勝手が良いです。
なので。
マーダーミステリーのキャラクターシナリオ
ストーリープレイングのキャラクターシナリオ

などで使っています。
ここでいうキャラクターシナリオというのは「そのキャラクターの人生」を表します。半生、経歴、事件前後の時系列、などなど。キャラクター自身がどんな人生を歩んできたのかを、テキストで示すわけです。

1.5人称の使い方

1.5人称は説明も心象描写もできます。
そして、事実としても心象としても曖昧です。
なので。
TRPGのハンドアウト
などで使っています。
ここで言うハンドアウトとは「事前指示書」のことです。キャラクターメイキングの前に、そのキャラクターの背景などを伝えるためのものです。プレイヤーはこのハンドアウトをもとに、さらに自分自身のイメージを盛り込みながらキャラクターを作るのです。所謂マーダーミステリーのハンドアウトとは用途も意図も異なりますね。(紛らわしい)

使い放題、やりたい放題

とまあ、アレコレ申してまいりましたがね。
こんなにカッチリ使い分けているわけでもないのです。
その時の仕様に合わせて変えたり、しゃみめの気分で好きに書いていたりもするのです。
仕様に合わせるというのは例えば。TRPGのシナリオを書く時に、公式シナリオの既存作品に文体を合わせるとか。マーダーミステリーの合作の時に、リーダーの方針に文体を合わせるとか。
……しゃみめの外側の都合で変えなければならない時が多いですね。
ま、そんなことだってあります。
そしてそんな時に「この文体はどんな機能があるのか?」「この文体で表現できるのはどんな内容なのか?」が判っていれば。
最大限の効果を上げることができるはずです。

ところで。
このnote記事はどの文体だか判りますか?
1人称でしょうか? 2人称でしょうか? それとも1.5人称でしょうか?







正解は「2人称」となります。
わたし(しゃみずい)から、あなた(読者)に向けて書かれた文体です。

でも、内容的には、しゃみめからあなたに同意を求める感傷的な書き口ですよね? とても説明的とは言えません。

実は2人称であっても、「説明的な書き方」と「感傷的な書き方」の振り幅があるのです。
究極に説明的なのは、家電の説明書などです。良かったら自宅にある説明書を引っ張り出してみてください。
究極に感傷的なのは、友だちとのダベリなどです。友だちは、あなただけに、友だち自身の事情を話してくれています。これもあなたにとっては2人称に違いありません。

2人称でも心象について描くことはできます。
でもその心象は「書き手の心象」です。「読み手の心象」ではありません。
「読み手の心象」を描こうとすれば、それはやっぱり1人称や1.5人称が妥当でしょうね。

しゃみめの既存のnote記事(本記事を含みます)は、読者に向けて、同意を得たいわけです。
よって、当然心象に寄せた書き口となります。2人称であっても、です。
これも、意図があって、狙って書いたものなのです。
……しゃみめが、やたらに馴れ馴れしいとか、そんなわけじゃあないんですよ。本当です。信じてください。










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