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ソメイヨシノ について

ソメイヨシノってご存じ?

お立ち寄りいただいた皆様は、ソメイヨシノをご存じでしょうか?
ええ、そうです。
春になれば爛漫に咲き誇る、あの桜の木です。
では、あの桜の木が、何故ソメイヨシノという名前なのか?
諸説ございますが、しゃみめにはきっとこれこそ真実に違いないと信じて疑わないエピソードがございます。
今日は、とあるふたりの男女の御噺をいたしましょうね。

ふたりの男女の御噺

昔々あるところに、農学者の卵がおりました。今でいう植物学者でしょうか。この男の名前を染井 健吾《そめい けんご》と申します。染井はまだ学者として功を成しえず、内縁の妻の内職で食わせてもらっている穀潰しでございました。

この内縁の妻の名は、佳乃《よしの》と申します。苗字は伝わっておりません。ただ、佳乃とだけ聞き伝わっております。佳乃は染井を、陰に日向に助けました。暮らしのたつきは佳乃ひとりの稼ぎでした。染井健吾は、ただひたすらに野山を歩き回って草木の研究に励むばかり。今でいうフィールドワークというやつです。

深く愛し合うふたりでしたが、染井と佳乃は籍を入れてはおりませんでした。染井は、学者として成果を出すまでは、一人前になるまではと、覚悟しておりました。佳乃も、そんな染井の決意を汲んで、黙って支えておりました。そんな或る時、ついに健吾は成果を見つけました。山奥で、ついに新種の植物の苗木を見つけたのです。

ああ、これでやっと夫婦になれる。染井は苗木をそっと包み、帰る足で役所に立ち寄り、婚姻届を手に取りました。ですが、迎えたのは笑顔ではなく、土間に倒れる佳乃の姿。
朝に夕に働きづめの佳乃はすっかり体を壊していたのです。医者に診せるも、もって数日。病床の佳乃に婚姻届と苗木を見せると、その時ばかりは頬を桜色に染め、震える手で名前を記し。そして帰らぬ人となったのでした。

佳乃を失ってしばらく茫漠と日々を過ごすも、やっと正気を取り戻した染井が思考の焦点を定め思ったのは、やはり佳乃との約束でした。
「そうだ。届けを出さねば」

婚姻届をもって役所に行くも、役人は染井の尋常でない様子を察し、2人の戸籍を調べます。すると、相手は既に鬼籍。
「狂人め!死人と縁が結べるか!」
蹴りだされた染井健吾は叫びます。
「それでも! 佳乃は正しくわたしの妻だった!」

佳乃なき今、染井にはたったふたつのものしかありません。
受け付けられなかった婚姻届と、まだ名もない苗木が1本だけ。

さて、染井健吾は、その後どうしたのでしょう?
どうか少し考えてみてくださいませ。
在りし日のふたりに、心を寄せてくださいませ。



……さあ、宜しいでしょうか?
諸兄には、もう、お判りでしょうか?










ええ、その通り。
染井健吾は、自身が見つけた新種の苗木に「ソメイヨシノ」と名付けたのです。自身の苗字のその下に、愛する妻の名前を付けて。

あれから幾星霜が流れ、2人の愛の軌跡も、悲恋の別れも、全てが忘れ去られたとしても。それでも。春になれば爛漫に咲き誇る桜の花の美しさと儚さとを観れば思わずにはいられないのです。2人の愛の、美しさと儚さを。

いや、抹香臭いことを申しました。年寄りの妄言と思召して、どうか聞き流してくださいませ。どうか、どうか……。









種明かし

……という、法螺噺でございます。ウソでございます。しゃみめが、十数年に思いついて、折に触れて語ってまいりました、ウソでございます。
ああ! どうか石を投げるのはお止めになってくださいませ。
どうかご勘弁を。

でも、信じたでしょう?
「ああ、そんな悲しくも美しい話があったなんて……」
と思ってくださったでしょう?

真実であるかの如く、強く信じる。
どうしてこんなことが起きるのでしょう?

脳のバグ

なぜ春でもないのにこの噺をしたかと申しますと。このエピソードと、このエピソードを聞いた諸兄の中で起きたことを説明すれば、きっと「体験」というのが何でできているのかが解明できるからです。
本当です。これはウソではありません。

御飯を食べても「体験」です。走って息が切れても「体験」です。
映画を観て泣けるのも、ニュースを観て腹を立てるのも「体験」です。
マリオカートをプレイしている最中に、コーナリングのたんびにケツが浮くのも「体験」です。
……しゃみめだけですか?
いやいや、あなたのケツだってきっと浮いていますとも。

「体験」とは、実際の行動が伴わなくてもいいのです。
「脳がそうとらえさえすればいい」のです。

真実でなくてもいい。
ただそう感じ取ることさえできれば。
それが「体験」です。

これは、脳のバグです。
仕様といってもいいでしょう。

3つのK

脳のバグを、3つのステップにわけて解説してみましょう。
さきほどの『ソメイヨシノ』のエピソードと共に。

関連

先ほどの噺に出てきた要素を抽出してみましょう。

①染井という苗字の男
 まあ、いそうですね。ポピュラーではありませんがいるでしょう。
②佳乃という名前の女
 これもいそうです。古風な名前ですが、いい名です。
③植物の新種は、発見者に命名権がある
 その通りです。他には、星や鉱石も、発見者に命名の権利があります。
④死人と結婚はできない
 それはそうです。戸籍の制度上、そうなっています。

どうでしょう?
これらのなかにウソはあるでしょうか?
はい、そうですね。ありません。全て真実です。
ホントとホントとホントとホント。
ところが、

⑤染井という植物学者が、見つけた新種の苗木にソメイヨシノと名をつけた。添い遂げられなかった内縁の妻の名を、自身の苗字につけたのだ

これはウソです。ウソなのですが、
「勝手にこれらの要素に関係性があるのだと思い込んでしまった」
わけですね。

正しいかどうかでなく、関連性があるだろうと思い込めば、それぞれの要素を勝手につなげてしまうのです。
如何にも「らしい」パーツが目の前に広がっていれば、勝手に組み立ててしまうのです。
人間は、物事に関連性を見出す生き物です。
これが、未来を予見し、過去を振り返る力です。
他の生き物には極わずかしか備わっていない、相当変わった能力です。
ですがこれは、「ありのまま」ではありません。
真実ではないのです。
脳の機能のひとつであり、悪い言い方をすればバグなのです。

確信

「ああ、そうか……! 染井は見つけた苗木に名前をつけたんだ……!」
そう思った瞬間、驚き、喜び、悲しみ……。様々な感傷が湧きおこり、心を満たした……人もいるかもしれません。そうでないかもしれません。

ともあれ、「気付いた」瞬間の快楽は相当なものです。
それが真実かどうかなんて、どうでもよくなってしまうくらいには。

自分自身で組み立てた仮説を、自分自身で疑うことはできないのです。
「気付く」という体験は、強烈です。
今まで判っていなかったものが、今は判る。
「納得してしまう」のです。
解答を得たという快楽は凄まじく、生半のことではこれを覆せません。
自分で「気付いた」ことは、自分で「疑う」ことができないのです。
これも脳のバグです。仕様です。

拡散

と、このような法螺話をしゃみめが面と向かって話す機会が今までにもたくさんあったわけです。
そして、聞き手は、結び付け、気付き、次にはこう言います。
「知らなかった……。この噺、他の人に話してもいい?」
と。

そう、脳は孤立を嫌います
ボッチを嫌い、グループを求めます。
自分が知ったこと感じたことを、他の誰かとも共有したいのです。社会的欲求が、という話ではなくて。生理的欲求なのです。毛のない猿にすぎない人間がどうしてこれほど繁栄したかと言えば、それは共感の力です。
血族を越えて結束できる生き物は、そう多くありません。あれは「ここにいるみんなが仲間だ」という共感を持っているから結束するのです。
この結束、共感の発露として、社会的に特に大きいものが国家や宗教です。
特に宗教なんかは、実にうまく共感を煽ります。

「自分が知ったこと感じたことを伝えたい」
そして伝わった人もまた同様に、
「自分が知ったこと感じたことを伝えたい」
と思うのです。
これが、共感の連鎖です。つまり拡散です。
これも脳の仕様です。
新興宗教にコロリとヤラれる人がいるところを見るに、これもバグと言えそうですね。

マーダーミステリーとバグの相性

関連、確信、拡散。3つのK。
これらは、多くの背景に横たわっています。
先ほどの話を持ち出すなら、政治にも宗教にもです。
そして、こうした「気付き」の体験構造を活かしたレジャーというのもたくさんあります。
今回は、特にマーダーミステリーに着目してみましょう。

マーダーミステリーでは、各キャラクターがそれぞれ情報を持っています。それぞれの持つ情報を交換することもあれば、手がかりから追加の情報を得ることもあるでしょう。
ホントとホントとホントが並んでいくのです。
そして、それぞれに関連性があるはずだと、つなげてくれるのです。

そして探ったことがつながった時。確信します。
「判った!」と強く思い、知り得たことに深い満足を得ます
こうした体験が、マーダーミステリーでは頻々に起きます。
小さな発見から、大きな発見まで、様々に散らされているからです。

そして、こうして知ったことは伝えたいし、伝えてほしいと願うものです。
各自に情報の偏差がある。これが、情報交換をするモチベーションです。

こうして皆がそれぞれ、自身が思い描く真実へと導かれていくのです。
知る、つなげる、気付く、確信する、伝える/伝えてもらう。
これら脳内の作用や、直後の外部との接触は、現に主体的な活動です。
脳は、これらを現実だと誤認します。しがちです。
この誤認を最大化することが、

いわゆる「没入感」を創作することとなるのです。

きっと、ね。
いや、ウソじゃありませんて。
ホントですとも。
どうか、信じてくださいませ。

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