死に場所を求めて

1985年江夏豊は36歳だった。
当時はスポーツ医学も今ほどではないから、今でいうなら40代半ばくらいの感じだろう。

1シーズン401奪三振
オールスター9連続三振
江夏の21球で日本一

歴史に残る偉大な投手は何度も首脳陣と確執で退団した反逆のイメージから実績とは裏腹に、国内最後の花道をプロ球団に球場を貸してもらえず、まさかの草野球の球場でささやかな引退試合をし、1985年にブリュワーズのキャンプに参加し、メジャー挑戦した。

日本人がそれ以前にMLBでプレーしたのは村上雅則がいたが、南海所属で教育リーグに参加した際にジャイアンツのトップの関係者の目に止まって一年プレーしただけで、この時はまだ、夢の世界だった。

峠を越えて、日本で契約してくれる球団もない江夏に対し当初日本のメディアは無謀な挑戦と冷ややかだったが、連続して抑えると態度を急転し、礼賛、大いに期待して報道した。

開幕が近づいてきて、打ち取ったと思った打球をホームランされてから、徐々に打ち込まれるようになり、最後に大打者レジージャクソンに低めの渾身の1球を上手く打ち返され、挑戦が終了した。

そのおよそ10年後に野茂がメジャー挑戦するというニュースを数年前に覚醒剤所持で収監されていた刑務所で知ることになった。

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