見出し画像

ライブを観るということ

6月21日に、113日ぶりにライブを観に行く。sora tob sakanaというアイドルグループのラストツアー福岡公演。その情報ページにはこんな文言がある。

※開場・開演時間および出演者は変更となる場合がございます。予めご了承ください。
※整理番号順入場
※全自由 着席観覧(予定)
※再入場不可
※鑑賞方法に関するお願いや最新情報は、公式HP・公式SNSにてご確認をお願い致します。
※事情によりライブ鑑賞に関するルール等は直前に変更となる場合がございます。公演当日はスタッフのご案内に従ってお楽しみください。

ワンマンライブなのに"出演者は変更となる場合"があるのかという気がしないでもないが、このご時世だ。直前で起こり得るあらゆるアクシデントを想定しておくほかないのだろう。ライブハウスで着席観覧というのも2月より前は珍しかった。それが今となっては真っ当な鑑賞法とみなされつつある。

------------------------------------------------------------

もう1本、6月中に行くライブが決まった。取り置きの返信メールには、"SNS等のライブに関しての投稿はお控えください"とあった。どういう意図かは不明だが、これも何らかのアクシデントの想定なのだろう。ライブハウス側は全く悪くないこと。しかし、こういう注釈をつけなければ何を言われるか分からないのが現状だと慮れる。というわけで、この公演のことは書けない。

ライブはいつからこんな密会のような催しと扱われるようになってしまったのだ、と頭を抱えてしまう。まるでライブに行くことが悪徳な行為のようではないか。国の出したガイドラインの非現実っぷりには脱力してしまうし、実際にガイドラインを遵守した会場に行ったら力なく笑ってしまうと思う。騒いだり、歌ったりはできない、もしかしたら踊ったりもできないかも。そんなライブハウスと6/19以降、生まれていく。再開!には程遠い実情だ。

しかし、こんなのライブハウスではない、とまでは思わない。その場で音が放たれて音楽を紡ぐ、それをどでかい音で聴く、これがライブの本質だと思っているからかもしれない。ぎゅうぎゅうである状態、動き暴れ騒げる状態、それも当然グッドだけれど、何より大前提には、そこに生身の人間が放つ素晴らしい音楽がある。それを全身で受け止めてこそのライブである。

だからどんなスタイルであれ、ガンガンやってくれって話にはできない。1mのソーシャルディスタンスを確保した会場に入る人数なんてたかが知れているし、採算なんて取れるはずがない。じっと座って、マスクもつけるのでライブどんどんやってください、なんて言えないです。このタイミングで公演を打ってくれるハコは、本当に、僕のようなどデカい生音が無いとダメな人間に向けての温情をくれているのだと思い、感謝しかない。機会を頂けたので、ありがたく拝聴したいと思っています。ドリンクもめちゃ買う予定。

------------------------------------------------------------

事前に「このライブの事は書かないで」と言われた時、まず「え、2020年6月にライブハウスに行ったという貴重な経験を書けないのか」と思ってしまった。いつしかライブと感想ツイート、感想noteがセットとなりつつあったし、こんな貴重な機会を詳細に書かないわけにはいかないと思っていた。けれども、それこそライブの本質から外れていることに気付かされた。14年前、初めてアジカンのライブに行った日、誰にも伝えず、どこにも書き留めず、心の中でさわぐ熱があったからこそ、今の今までライブに行くことを趣味にしてこれたのではないか。そんなことを思いながら、ピカピカの気持ちでこの"口外禁止"のライブへと向かおうと思った。また、ベラベラとタラタラとツラツラと、何でも書いていいライブを観れる日を思い浮かべながら。



#ゆたかさってなんだろう #コラム #エッセイ #ライブ #コロナ禍

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?