僕が研究の道を選ぶ理由
こんにちは。シェアスタッフのゆうすけ(@hyusuke59)です。
先日のもっちゃんによる投稿がサイエンスコミュニケーションについてまじめに考えるキッカケをくれました。
ですので、今日は「研究の道を選ぶ理由」についてお話しします。
「選んだ理由」ではなく「選ぶ理由」であるのは、なぜか。それは現在進行形で研究の道を歩もうか、歩むまいかを日々悩んでいるからなのです。
博士前期課程に在学中の僕ですが、そもそもなぜ進学をしたのかというと、特にカッコいい理由はありません。自分でも謎です。ただ院試の面接で言ったことは、「これからも考え続けたい」ということでした。
この「考え続けたい」とは一体どういう意味だったのだろう?とすこし考えてみると、理性の限界を知りたいと思っていたのかもしれません。
なんの根拠もなく、信じることが嫌いで、その根拠も自分が納得したものでなければ、我慢できないという性格なので、感情よりも理性を大切にする研究職がしっくりきたのでしょう(実は感情も大事だと最近気づきましたが)。
話を戻しますと、「考え続けたい」という理由が研究の道へ進む妥当な理由となり得るのか、ということです。
そもそも「考え続ける」ということは研究じゃないとできないことなのでしょうか?
もちろん、仕事をしながらでも考えることはできるでしょう。
しかし考え続けるプロになることは普通の人間では難しいです。
安定した生活とそこから生まれる余裕が自分以外の問題へと目を向けさせてくれると僕は信じています。これらを達成できるには研究職しかないと思っていたのです。
ですが、現状は若手研究者の未来が暗いことがメディアでたびたびと取り上げられています。考え続けることができる場所が僕たちにはないかもしれません。だから、僕は悩んでいるのです。
考え続けることで、研究者たちが時代を変えてきたのは事実でしょう。それはいわゆる理系の分野だけではなく、人文系においても言えることです。
その一員になりたいと僕は思うのです。
賞賛されたいわけではなく、それが自分が望む、社会に貢献する方法だからです。貢献度が大小であれ、その意識を持つことは大切です。
それなら迷わず進めばいいじゃないかと思うかもしれませんが、その貢献が研究者にとって現状可能なのか、というところに疑問を感じています。
以上、雑談となってしまいましたが、「僕が研究の道を選ぶ理由」でした。ぜひみなさんのご意見を聞かせてください。
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—あそび、ゆらぎ、むすぶ。—
Share Study β 平岡 ゆうすけ
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