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親権者と本人の間に入れるか?2

 人が健康に生きるために支障が生まれる、それが病。その病を治すのが医療。前提として健康である状態が望ましく、自ら苦しみたいと欲しているときは病ではない、人には厄年があるようになにかの不幸な渦とでもいうか波がある。アセンションという高次元同居型社会を迎えた今、改めて医療のあり方もアップデートするべきだ。

・肉体から離れたい人

 骨折して普通病院に入院した時のこと、死が身近に在るようになった。いや、死をまじまじと受け止められるようになった。
手術後安定し、通常病棟に部屋が変わり一緒になったのは、もう回復の余地がない老人がいる四人部屋だった。その老人は「お願い、助けて〜」を繰り返し叫んでいた。もうエーテル体が尽きて、肉体が朽ちるのをホースで繋いでいるだけだった。そのときいわゆる死神というか、プラーナ帯域の管理人が頭上で構えているのである。朽ちるその極(キワ)を今か今かと眺めている。
ホースを外せばその極はすぐに訪れる。しかしプラーナにはホースを抜く物理的な力は与えられていない。ひたすら病室の上から肉体を眺めている。それを感じ取って、肉体はもう楽にしてくれ、開放してくれと叫んでいる。
 後日部屋が変わり、1階のロビーで開きっぱなしになったエレベーターからあの肉体が運ばれてきた、「シーーーン」という音を発しながら。プラーナは、ようやく無事に肉体からエーテル体の全てを運び出して次の転生へと繋げる事ができた。
 抜け殻の肉体になった彼は、ようやく死にたどり着けた。

プラーナ帯域は死の間際にこの世に空からウワーッと現れる。白い霧状のものがドバーッと降りてくる。
肉体と、ほんの微かなエーテル体の引き剥がし作業を行う。親族に近いものが虫の知らせとして気がつくように物理的な距離ではなく、各人間がもつエーテル体の中に存在するその人の層が「お迎え」を察知して連絡してくる。プラーナ白い霧状のものがドバーッと最後の引き剥がしを行う。

 私の妻の祖母が亡くなるときも違う場所にいたが、私のエーテルの上にプラーナの白い霧が降りてきて、気がつき、妻から連絡が来て病院に行き看取った。病室の中は白い霧に満ちて天井、そして空へとエーテル体を抱えて上がっていった。プラーナ帯域の管理人を待たせ過ぎであるし、肉体側の本人も監視されているから恐怖を募らせる。

 このプラーナ帯域が迎えに来る「白い霧」現象を本人、親権者に説明し納得死ていただけたら早期の安楽死が実現します。医療現場での改善案として(もちろん出ていると思いますので)プラーナ帯域とエーテル体と肉体の共存関係を私は明示します。

・キリスト教にすがる精神病院の先生

 私がシャーマンについての解説をしても、親権者も先生も聞いてはくれませんでした。そう、論点はそこではなかったから。シャーマンなどという理解できないワードを発することが病気と認定されているのですから。。。

 シャーマンはヒト類の個体がたくさんいる場合にある確率で現れる、降ろし屋のような存在です。沖縄のユタが有名ですが世界中に昔からある呪術的職能者です。(シャーマンになった機会については後述します。)
シャーマンについての解説をもちろん先生にはしましたが、ただ聞いているだけでした。が、しばらくして様子が変わってきました。先生もどうしたらいいか、自分の行っている隔離状態が良くないのではないかと悩み始め、果たしのところでキリスト教の教えを唱えはじめたのです。
もちろん当時の私に俯瞰して分析する思考などありません。毎日が動物園のように泣き叫ぶ人の中で、普通を目指して暮らすなど狂気の状態。親権者や先生に泣きつくように「ここから出して!」と言うことしかできません。いつ終わるかもわからない狂気で当たり前の毎日。腹が立って叫べば拘束され檻の中に入る、ただその繰り返し。何もするな、ただ無気力であれ。そんなトレーニング。ただのトレーニング。収入だとか生活だとかそんなものほっといて過ごす無気力な人になるための錠剤、拘束を伴う無気力訓練の日々。

 ある日、外に集団で出かけることになりました。私は病室のベッドの上で靴下を履きながら泣いてしまいました。「靴下を履くなんて久しぶり、、、なんでこんなことに。」自分自身が情けなく、親権者に生きているだけで迷惑をかけている自分はいなくなったほうがいい。靴下が外の世界と自分を再び繋ぎ、声を出して泣きじゃくってしまいました。

 そんな風に少しずつ外出できるようになってきたある日、外出先でソーシャルワーカーさんに何気にUFOの話をしていた時でした。「そんな話をしなければ出られるのに、、、」何気ない言葉だったのですが、他人にどう受け止められているのか?に初めてハッとした瞬間でした。

親権者である両親は先生の言うことを聞く。院内にいつもいるスタッフは先生の言うことを聞く。当の先生はシャーマンという種が居るのは理解しているが、本人がそれを「言い続ける」から治療完了とは言えない。
「ああ、言わなきゃ外に出られるんだ」そんな簡単なことに気がつくのにどれだけの期間を要したか。
 怪しい世界ではなく眼前と存在する世界も、理解がない人達にとっては「頭のおかしい」こと。それが外の世界に出る条件ならば、言わなければいい、感じない事にすればいいだけのこと。。。

 一時的錯乱状態が起きるシャーマンという種類の人がいる。とあの時、誰か外の世界で普通に暮らしている人が「私シャーマンなんですけど、こんなことがありますよ、異常と言うより一時的なものですよ」なんて言ってくれてたら、先生も私も両親もそんなに苦しむことはなかったのではないかと思うんです。ちなみに20年たった今は両親ともとても仲が良いです。なぜならそんな話をしないから。ね、やっぱり私は病院に入って正解でした。
別に恨んでいるとかではなく、私自身の身の振り方がおかしかったのだと思います。
だからこそ、ここに普通に暮らしてるシャーマンの人居ますよって言いたいんです。


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