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藤子Fマニアが見た「ヤクザと家族」と「ヤクザと憲法」/リアルな全ギャド連

「ヤクザと家族」、凄い熱量の映画であった。

三部構成で昭和~平成とヤクザ世界の変遷を、一人のヤンチャな男の視点で描いていく作品で、【アクション×社会派】というジャンルの枠を飛び越えた、新感覚の作品だと強く感じた。

ファミリーを形成して、束でシノギを削っていた暴力団の時代から、
個人技でのシノギで、何とかファミリーを保とうとする反社の時代へ。

ヤクザの世界ほど、時代によって世間での立ち位置がこれほど変わった業界(?)も無いように思えてくる。社会での最上位から最下位への落ち方の振り幅がすごいのだ。

そして、ヤクザを足ヌケするのも大変だ。辞めても、反社扱いされてまともな仕事に就くこともできない。親分に辞めさせてもらえないのではなく、辞めても他に食っていく術がないから、足ヌケしたくてもできないのである。

ヤクザの世界を壊滅させるため、必要以上の人権を奪い取り、新しく入ってくる者を途絶えさせる作戦だろうが、そのためには、現在のヤクザの組員を野垂れ死にさせてもやむ無し、という国家の思想が見て取れる。

そして由々しき問題は、ヤクザが消えた社会の空白に、半グレが入り込んで幅を利かしているということだ。そういう社会の歪みを本作は描き出す。


と、ここまで社会派としての感想を述べたが、それ以前に、血の繋がりとは別種の。「ファミリー」を形成する男たち(+女たち)の絆、そして儚さが染みる一本でもある。

3つの時代を描いているが、僕はそのたびに主人公が変わっていくように思えた。

1.昔気質のヤクザの親分に舘ひろし
2.孤高の不良からヤクザに転身し、幅を利かせていく綾野剛
3.そして半グレとしてヤクザの論理とは別で行動する磯村勇斗

三つの時代で、三世代の、三人の男が生きていく。そういう物語だと受け止めて良いだろう。


ところで、本作に大きく影響を与えただろう傑作ドキュメンタリー映画が存在する。それが「ヤクザと憲法」である。

無骨な社会派ドキュメンタリーを次々世に送り出している東海テレビ製作の、2016年の作品だ。

現役のヤクザ事務所にテレビクルーを入れて、彼らのシノギを赤裸々に映し出す、とんでもないドキュメンタリーなのだが、ここで描かれているのは、暴対法で痛めつけられた、今にも倒れそうな組織の姿なのである。

ここで映し出される古びた事務所建物だったり、その内装だったり、大学生のバイト代のようなシノギの報告だったり、足ヌケのタイミングをとうに逸した組員の姿などは、「ヤクザと家族」に大きく影響を与えたものと想像できる。

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「ヤクザと憲法」を見る前、なぜ事務所を撮影させることを許したのか不思議でならなかったのだが、取材が進むと、撮影クルーを受け入れたヤクザ側に、自分たちの窮状を訴える目的があったのではないかという意図が見えてくる。それほどに追い詰められているのである。

ヤクザの関わる者、誰もが全く幸せでない。そういうことを強く思わせる一本であった。


この二本は、ヤクザを賛美する作品ではないが、現代のヤクザに身を寄せてキャメラを回した時、彼らが儚げに愛しく見えてくるのは否定できない。そして彼らを追い詰める警察組織・国家暴力に対して、畏怖を覚えてしまう。正義と悪への倒錯した思いに駆られる二作だったと思う。


Fマニアとしての視点が全く入り込めなかったが、敢えて関連付けるとすれば、「パーマン」における「全ギャド連」の窮状と良く似ている、という点がF的かもしれない。

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