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自分に向き合わないと、最終的に全部自分にツケが回ってくる

まさにこれまでの自分のことだなと思った話。

「ジェーン・スー 生活は踊る」のお悩み解消コーナー「相談は踊る」を拝聴。


すべての言葉が刺さりに刺さりまくったので、記録します。

自分に向き合わないと、最終的に全部自分にツケが回ってくるっていうのをよく見るんですよ。これくらいの年齢になると。うちの親とかも含めてですけど。

自分に向き合わないツケって結局先送りにしているだけなので、結論と自分自身の弱点とか都合の悪さとか。そういうのがもう過積載になってどうにももう解決できないぐらいの量になってからドサっと肩に年取ってから落っこってくると、やっぱり健やかな社会生活ってのが中々送りづらくなったりしてくると思うんですね。

辻褄の合わないことに目を背け続けてると、やり過ごせると思ったら大間違いだなと思うことが多くて。
私は浅ましい人間だということ、不都合なことにちゃんと向き合うということが何より大事だと思うんですよ。
もっと良いところ、人の役に立ちたいとか自分自身のために頑張りたいとかそういう清い綺麗な気持ちとされるものと、同時にそれと同じぐらいの量のずるさ、せこさ、可愛がられたさ、ナルシシズムといった生ゴミのようなものを抱えているっていう、その辻褄の合わなさをちゃんと目で臭いで触感で確認していくことが、逆説的にこのモヤモヤを消していく方法になると思うんですよ。
自分にはこういう辻褄の合わない、人様には言えないようなおどろおどろしいところがあるっていうことをしっかり抱えていくことでしか、自分のこのモヤモヤに足を取られない方法ってないと思うんですよ。
向き合うだけでいいんですよ、改善なんて無理だからさ。私の屁は臭い、ということが分かっていれば私はそれで良いんだと思うんだよね。

グサグサ刺さります。。。

自分にもずるくて卑怯で自分本位で臆病なところが沢山あって、そのくせ人によく見られたい、すごいと思われたい、羨ましがられたい、勝って優越感を感じたい、そんな自意識もあります。

それらが自分を動かしている部分もあるのに、その事実に目を背けて、「きれいな自分」や「きれいな感情」にしか目を向けてこなかったように思います。

自分の不都合と向き合うにはパワーがいるけど、何か前に進むヒントを得た気がします。

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